愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

カテゴリ:13-生活

れんたん  練炭は,石炭の粉末を粘結剤で固めた燃料で,豆炭とともに昭和初年から木炭と併用して使われた。豊橋では石炭の販売を取り扱った鈴与が,昭和5(1930)年練炭の製造を開始し,同8(33)年豊橋市三ツ相町に工場を設備した。練炭工場は,昭和25(1950)年閉鎖,庶民 ...

よみせ  夜店は,明治45(1912)年開通した新停車場通(広小路)で行われていたが,市内電車が敷設された大正14(1925)年に豊橋市西八町に移った。第2次世界大戦後は,広小路と萱町で,昭和52(1977)年から札木通りと松葉公園で行われた。平成7(1995)年から翌8(96)年 ...

よしだつちにんぎょう  吉田土人形は,明治13(1880)年,地方歌舞伎の旅役者であった杉浦幸次郎(1834~98)が,豊橋札木町に窯を築き制作したことに始まる。杉浦幸次郎が人形を制作していた期間は10年ほどであり,天神,俵持童子,唐童子,鯛金時,達磨,狆(ちん),招き猫 ...

やみいち  闇市は,第2次世界大戦後,豊橋駅前の防空壕跡に自然発生し,半年ほど続いた。やがて,駅前広場を占拠し,交通・治安上問題が多くなったため,戦時中の建物強制疎開により空き地となった駅前大通りの両側と神明町に移転した。 駅前大通りの闇市は飲食店4割,サツ ...

⇒ 休日夜間急病診療所(豊橋市富本町) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂 ...

もーにんぐさーびす  昭和40(1965)年ごろ,豊橋の喫茶店でモーニングサービスが始まった。開店から午前10時までのコーヒーに,トースト・サラダ・ゆで卵がつくようになり,朝食代わりにするサラリーマンが増加した。その後,モーニングタイムは午前11時までになった。モー ...

みょうじ  豊橋の名字を電話帳(NTT西日本 50音順個人名 2003年現在 愛知県東三河版)の豊橋市,掲載数約7万5000によれば,ベスト11は,鈴木3996,伊藤・伊東2001,山本・山元1687,加藤1318,河合・川合1243,白井1063,小林・古林939,中村・仲村884,田中728,佐藤725 ...

みそ・たまり  三河地方で用いられる味噌は,大豆のみを原料とする赤味噌である。浜名湖以東では米または大豆に麦を加えたいわゆる白味噌が用いられる。味噌汁は,豆味噌であるので,その都度すり鉢で豆をつぶし,煮干しの出し汁で作る。赤味噌からしみでる液体を溜と称し, ...

みかわだんじのうた  「三河男児の歌」は,渥美郡西七根村(豊橋市西七根町)出身の彦坂幸太郎(1873~1907)が,愛知県第一師範学校の教員時代に,「渥美範友会」(渥美郡出身の在校生の親睦会)の求めに応じて明治38(1905)年ごろに作詞したものである。歌詞は10番からな ...

ほくち  ほくちとは火打石を打って飛び散る火花を移しとる綿状のものである。ほくちは,アオイ科のイチビの殻幹を焼き,または茅花(つばな)やパンヤに焼酎・焔硝(えんしょう)を加えて製造するほか,木綿やガマの穂を原料につくる物もあった。延享3(1746)年の「東海道巡覧 ...

ほうげんのへんよう  言葉は時間の経過に従って変化する。豊橋地方で,語尾について推量を表す「ズラ」が「ダラ」に変わったのは昭和の初めごろである。「そうジャン」などと使われる「ジャン」は,同じころから使われ始めた言葉である。また,豊橋地方で日常話されている意 ...

ほうげん  豊橋の方言は,「のんほい言葉」と呼ばれる。近ごろでは「じゃん・だら・りん」といわれることが多くなった。豊橋の方言は広域的には,三河・遠江・駿河・甲斐・信濃で使われる未来・推量のズラ方言,上記地域に加えて美濃・尾張でも使われる意志・勧誘のマイ方言 ...

ひうちいし  火打石は,学術的な岩石名ではなく,チャート・角岩が正しい名称である。大変固い石であるが,石英質の堆積岩に分類される。字のごとく,石と石,あるいは石と鉄を打ち合わせると火花が散るので,この名がつけられた。火口(ほくち)に火花をとばして火をおこした ...

はまなっとう  浜納豆は,大豆食品の一種であり静岡県浜松地方の名産品である。浜名湖畔の大福寺で作られたため浜名納豆あるいは大福寺納豆ともいわれる。京都の大徳寺納豆,天竜寺納豆などもほぼ同類で,寺納豆として悟真寺に伝わり後陽成天皇に献上したとされる記録もある ...

はっけいしいか  「三河国二葉松」(元文5年)に,熊野大権現八景詩歌がある。豊川帰帆 今号吉田川三河也。星野落雁 今在行明村旧跡。石巻秋月 在八名郡名山也。本宮暮雪 号一宮本宮山。本野晴嵐 号本野原出名所。宮路名照 云赤坂駅後山。渡津夜雨 云小坂井前芝辺。 ...

のんほいことば  豊橋地方の方言は「のんほい言葉」といわれ,間投詞の「ノンホイ」(ねえおい)が,日常の生活の中で話される方言の代表的な言葉であるからである。 平成4(1992)年,豊橋動物園は豊橋子供自然公園から豊橋総合動植物公園となった。その時,愛称を「のん ...

⇒ かけ・にかけ - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://na ...

なめし・でんがく  菜飯は,乾燥させた大根の菜を米飯に炊きこんだものである。大根の菜は増量と風味をもたらすために加えられたものである。田楽は,味噌田楽である。家庭での田楽は,こんにゃく・里芋などが多いが,料亭では,豆腐に赤味噌のたれをつけることが多い。 こ ...

⇒ 浜納豆 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasaka ...

どんとさいれん  正午を知らせる号砲をドンといった。東京では明治4(1871)年から昭和4(1929)年まで,江戸城旧本丸で空砲を発射した。名古屋鎮台では明治21(1888)年から正午のドンが始まったといわれる。豊橋では明治37(1904)年八町の練兵場で正午のドンが始められた ...

とりのいち  酉の市は,11月の酉の日に行われる江戸下谷(東京都台東区)の鷲(おおとり)神社の祭礼に立つ市である。最初の酉の日を一の酉,以下二の酉,三の酉と呼ぶ。豊橋の酉の市は,西光寺(豊橋市大手町)の8世得学泰道和尚が,明治42(1909)年,地元の手間町商店街の ...

とよはしとんとんうた  「豊橋とんとん歌」は,三河港や鬼祭などを歌詞に盛り込んだリズミカルな民謡で,豊橋まつりの市民総おどりやとんとん踊りコンテストなどを通じて市民に親しまれている。昭和55(1980)年より市民総おどりの曲目に加わり,平成6(1994)年には,現代 ...

とよはしおんど  豊橋音頭は,昭和9(1934)年に豊橋観光協会設立を記念して作られた。豊橋を観光的に売り出すことを目的としていたが,観光資源として突出したものがなかったため,当時の主要産業であった製糸工場などを題材にしたとされている。作詞は西条八十,作曲は中 ...

としのいち  歳の市は,神明公園で年末の12月27日から31日の大晦日(おおみそか)まで開かれる正月飾りの露店市である。新年に飾る注連縄(しめなわ)やお供え餅やその飾り,破魔矢(はまや)や門松などのほか,羽子板(はごいた)なども売られている。 - - 豊橋市議の長坂です ...

とうじにとうがん  「冬至南瓜」という言葉が辞書に出ているが,五並(いなみ)周辺(豊橋市東細谷町・細谷町・小島町・小松原町・寺沢町)には,冬至まで冬瓜を保存しておいて食べる習慣がある。「ふるさと細谷」に「冬至南瓜,とうがんを食べ風呂に柚子の実を入れてあたたま ...

てんじんさま  豊橋地方では,男の子がいれば,2月25日の天神様の日から,3月3日まで雛段(ひなだん)の片隅に天神様を飾る風習がある。天神は菅原道真であり,男児の学問成就を願ったといわれる。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうござ ...

てんきよほう  豊橋の天気予報はかつては「愛知県全域」で判断するしかなかったが,昭和50(1975)年6月1日,地区が「愛知県東部」と「愛知県西部」に改められた。昭和62(1987)年6月1日から,警報も「愛知県東部」「愛知県西部」となった。平成10(1998)年11月5日から ...

⇒ 菜飯・田楽 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://naga ...

てつどうしょうか  明治33(1900)年5月,大和田建樹作詞・上真行と多梅稚(おおのうめわか)作曲の「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり」という歌詞から始まる「鉄道唱歌」は,「地理教育唱歌」と名づけられて発売された。その30番が豊橋である。30番 豊橋おりて乗る汽 ...

ちか  地価は,土地を売買する時の価格指標,もしくは,土地に対する課税の対象に使われるもので,国土交通省土地鑑定委員会が毎年全国の地価公示を行っている。平成16(2004)年の地価公示によれば,豊橋市広小路一丁目の中高層の店舗ビルなどが立ち並ぶ駅前商業地域で,駅 ...

⇒ 味噌・溜 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...

たたみ  豊橋の建物は田舎間(江戸間)で,1間を柱心距離で6尺とする。畳は5.8尺×2.9尺である。名古屋から西は京間で,1間を6尺5寸とする。畳は6.3尺×3.15尺である。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2 ...

ぞうに  新年の雑煮に使われる餅は,関東は切り餅,関西は丸餅である。また,東京では焼餅にすまし汁が多いが,三河では,切り餅といっしょに,水菜,里芋,人参,油揚げなどの具で煮込むことが多い。だし汁は煮干で,かつお節をかける。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋 ...

せんじ・たねもの・きんとき  夏の風物詩かき氷も種類によって呼び名に地方色がある。「煎じ」は,かき氷に甘味料をかけたもので,名古屋でも東京でも「煎じ」である。ところが浜松・静岡では,「甘露」とか「氷雪」という。「種物」は,いちご(赤)・メロン(緑)・レモン ...

せーらーふく  女学校の制服が和服から洋装になるのは大正末期である。大正11(1922)年秋,豊橋高等女学校の制服に洋装が採用され,1年生から順次実施された。新城高等女学校は大正13(1924)年の1年生から,国府高等女学校は大正15(1926)年の1年生からであった。豊橋女 ...

すいせんべんじょ  豊橋市は,昭和5(1930)年に当時の戸数1万8312戸中3800戸,同5(30)年末には5036戸に水道を取り付けている。平成14(2002)年度末の給水栓数は14万2794(戸数12万8839)である。下水道は,昭和10(1935)年に野田汚水処分場が築造され,市内中心部の家 ...

しんよしだつちにんぎょう  新吉田土人形は,吉田孫吉に師事した西村茂治(1906~1997)が,従来の作風に満足できず,伏見系譜の吉田土人形に博多人形の趣を求めたものである。昭和2(1927)年,独立して東田(あずまだ)坂上(豊橋市東田町)に窯を築いた。 西村茂治の制作 ...

じゅうきょひょうじ  市街地の住所・事業所などの町名・地番が無秩序でわかりにくいということで,住居表示に関する法律が昭和37(1962)年5月に制定された。街路方式(1ブロックに1の地番と枝番をつける)と道路方式(道路に面して住居番号をつける)のいずれかによるこ ...

じゃん・だら・りん  豊橋の方言を昔は「ノンホイことば」といっていたが,最近は「ジャン・ダラ・リン」というようである。「そうジャン」は,昭和初年から使われ始めた。「そうダラー」は,未来・推量の「そうズラ」から変わったのが,昭和初年である。三河・遠江(とおと ...

じかようしゃ  東三河では,大都会と比較し公共交通機関が発達していないため,早くから自家用車の保有率が高かった。特に,農山村では,急病人の搬送など人々の重要な足として利用されている。 豊橋の平成15(2003)年度末の自動車数は,総数26万4999台である。そのうち貨 ...

しおひがり  渥美湾に面した豊橋市梅薮町から杉山町に至る海岸は干潮の時には干潟になる。春の大潮などに際してアサリが採れる。和船でハゼなどを釣るのはかまわないが,沿岸の漁業組合が稚貝を蒔くので,入漁料が必要である。豊橋市前芝町・牟呂町の海苔養殖,牟呂町のむき ...

さーふぃん  サーフィンは,ハワイ諸島の原住民たちが丸太を削り,魚を取るのに移動する足としてはじめられた。いまや世界中に広がり,スポーツとして若者たちに絶大な支持を得ている。日本のサーフィンは,昭和35(1960)年ごろ始まったとされ,やがて若者たちのスポーツと ...

ごみぜろうんどう  530運動は,市民による社会道徳の高揚と美しい生活環境づくりを協議した結果,昭和50(1975)年7月16日に530運動推進連絡会が設立され,組織的な活動が開始されたことによって現在に至っている。その前段階として,「葦毛湿原」の環境劣化を心配する豊橋 ...

こうれいかしゃかい  総務省が平成15(2003)年の敬老の日にちなんで発表した65歳以上の高齢者人口の推計は2431万人で,総人口の19.0%(男子16.5%・女子21.5%)を占める。アメリカ合衆国などは12%そこそこであるが,イタリア18.2%・ドイツ17.1%・フランス16.1%である ...

こうつうじこ  自動車保有台数が増え,道路が整備されるに従って,交通事故発生は増加する傾向にある。そのため,その防止が,現代社会の大きな課題となっている。交通事故防止のため,さまざまな対策がとられ,豊橋市民対象の交通安全運動の実施や,学校での安全教育が不可 ...

こうしんこう  庚申講は,60日ごとにめぐってくる「庚申(かのえさる)の日」に庚申仲間の人々が一堂に会し,共同飲食しながら徹夜で語り明かす行事である。庚申の夜は,眠ると人体に潜む三尸(し)という虫が天に登り,天帝にその人の罪を告げるため,夜は起き明かして三尸が体 ...

けいご  豊橋地方の方言で,敬意を表す言い方には,「お見りん」「お食べりん」など「オ+動詞+リン」の形や,「お見ましょう」「お食べましょう」など「オ+動詞+マショウ」の形で,敬意がこもった命令形がある。さらに,「お書きる」「お読みる」「お行きる」のように,「 ...

きょうどうよくじょう  東三河では約40か所の共同浴場が,明治末期から昭和初期にかけて,沿海部に多く作られた。共同浴場の組合を有志で起こし建設,運営をした。最盛期には豊橋で16か所あり,東は東細谷町から西は梅薮町まであった。このうち牟呂町に5か所の共同浴場が設 ...

きゅうれき  旧暦は,正式には太陰太陽暦で,明治5(1872)年12月3日を,明治6(1873)年1月1日とするまで,使われていた暦法である。太陰暦は新月を朔とし,1か月は平均29.530588日(大の月は30日,小の月は29日)で,12か月は354日余である。1太陽年の365.2422日に合 ...

きゅうじつやかんきゅうびょうしんりょうじょ  病院の週休制が,昭和35(1960)年10月から,実施された。それに伴って,緊急当直医制度が実施された。昭和60(1985)年4月,豊橋市休日夜間急病診療所が豊橋市富本町の元陸軍憲兵隊跡地に開設された。平成16(2004)年3月の新 ...

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