愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

カテゴリ:16-文献

ふくおかのむかしといま  「福岡のむかしと今」(豊橋市立福岡小学校 昭和60年)は,豊橋市立中野小学校の新設分離を記念して,豊橋市立福岡小学校校区誌編集委員会によって編集発行された。 本書の内容は,福岡の自然から書き起こし,大昔の福岡の様子,鎌倉から戦国・江 ...

ひろしま・ながさきをたいけんしたとよはしのひとたち  「ヒロシマ・ナガサキを体験したとよはしのひとたち」(豊睦会 昭和45年)は,昭和45(1970)年に豊橋市内の被爆者が豊睦会(愛知県原水爆被災者の会豊橋支部)を作り,その結成20周年の節目を機に出版されたものであ ...

ひゃくまんぶんのいちのはぐるま  「百万分の一の歯車!」(中経出版 平成15年)は,平成15(2003)年7月刊行された。著者松浦元男は,昭和35(1960)年愛知大学を卒業し,同40(65)年プラスチックスの抽出成型加工企業・株式会社樹研工業を設立し,現在取締役社長である ...

ひとばしら  「人柱-工兵第三連隊の記録」(工兵第三連隊戦史研究室 昭和42年)は,前編(創設─満州事変),中篇(日支事変),後編(大東亜戦争─終戦)の3編にわかれているが,特に中篇の上海付近の会戦,南京攻略戦,徐州会戦などが詳しく書かれている。 明治41(190 ...

ひとつぶのむぎ  「一粒の麦」(講談社 昭和6年)は,昭和4(1929)年から同5(30)年にかけて雑誌「雄弁」に連載され,同6(31)年講談社から出版された賀川豊彦(1888~1960)の著作である。「一粒の麦」の主人公は,北設楽郡津具村生まれの豊橋の材木屋に奉公していた青 ...

ひしのはな  「ひしのはな」(京都橘屋治兵衛 文化9年)は,吉田(豊橋)の俳人古市木朶(ふるいちもくだ)(1727頃~1810)の追善俳諧集である。半紙本一冊67丁で如風の序,文化9(1812)年の瓦全の跋文がある。古市木芽(古市木朶の孫)が編纂し,京都橘屋治兵衛の版で蕉門 ...

びさんそくりょうにっき  「尾三測量日記」(愛知県郷土資料刊行会 昭和56年)は,享和3(1803)年,伊能忠敬(1745~1818)が第4次測量として江戸を出発し,駿河から三河,尾張,美濃,越前などを測量した日記から,三河,尾張の部分を抜き書きしたものである。 下細谷村 ...

ひかりにむかってさけ  「光に向かって咲け」(岩波書店 昭和61年)は,愛知県八名郡石巻村で明治24(1891)年に生まれた斎藤百合(1891~1947)(野口小つる)の生涯とその業績を,同じく盲人の女性栗津キヨ(1919~88)が綴ったものである。 著者の栗津キヨは,大正8(1 ...

ひがしみかわのわさん  「東三河の和算」(間瀬木理 平成15年)は,江戸時代後期,東三河地方,特に吉田(豊橋)で活躍した和算家斎藤元章(1764~1812)の「算法諸約術」の解説(現代数学・算数に翻案)を主に,斎藤元章を取り巻く和算家のプロフィールもあわせて紹介した ...

ひがしみかわのはいぶつきしゃく  「東三河の廃仏毀釈」(豊川堂 昭和52年)は,平田神道の思想伝達者で,羽田八幡宮・湊町神明社の神主である羽田野敬雄に焦点をあてて,東三河の廃仏運動が論じられている。その論述は,羽田野敬雄の「幕末三河国神主記録」(「万歳書留控 ...

ひがしみかわのせんごくじだい  「東三河の戦国時代」(「東三河の戦国時代」刊行会 昭和60年)は,豊橋技術科学大学教授の横尾義貫が,地域計画は地域固有の風土と歴史に対する配慮がなければならないとの観点から,大名領国制が成立する東三河の歴史を書いたものである。 ...

ひがしみかわのじょい  「東三河の女医」(東三河女医懇話会 平成6年)は,昭和58(1983)年に結成された東三河女医懇話会により,創立10周年記念事業として刊行された。東三河生まれ,旧制高等女学校,新制高等学校まで東三河で生活した者,女医になって東三河に居住し医 ...

ひがしみかわとよはしちほうしゃかいうんどうぜんし  「東三河豊橋地方 社会運動前史」(尾原与吉 昭和41年)は,大正時代から第2次世界大戦終戦までの豊橋を中心とした東三河地方の労働者階級の闘争と弾圧の社会運動史である。 内容は第1項で,大正3(1914)年~昭和12 ...

ひがしみかわでんきじぎょうえんかくし  「東三河電気事業沿革史」(芳賀信男 平成8年)は,「渥美半島電気事業小史」の続編として出版した。第1編は明治中期の豊橋電燈を重点的に,第2編は東三河地域に設立された小電力事業社の経緯と統合・消滅について述べ,さらに第3 ...

ひがしみかわさんぎょうこうろうしゃでん  「東三河産業功労者伝」(豊橋市立商業学校 昭和18年)は,豊橋市立商業学校の開校20周年を記念して発行された。大口喜六は「序」で発刊の目的を「我が東三地方に於ける産業の振興に就ても,亦それに挺身せる幾多人士の犠牲的奮闘 ...

ひがしみかわきょうどさんさく  「東三河郷土散策」(豊橋地方史研究会 昭和48年)は,鈴木源一郎が昭和46(1971)年から2年間120回にわたって,毎週東海ラジオで放送したものをまとめたものである。内容は東三河の郷土の歴史や遺跡などを紹介したもので,三河のおこりから ...

ひがしみかわがじんでん  「東三河画人伝」(豊橋文化協会 昭和48年)は,白井烟嵓(えんがん)(1894~1976)が著した東三河の画人たちの追憶記である。 序は元豊橋市長河合陸郎が書いており,扉は渡辺崋山,椿(つばき)椿山(ちんざん),渡辺小華,鈴木拳山など17人の作品の ...

ひがしみかわ・いかのどうせい  「幕末明治-東三河・医家の動静」 -附・江戸明治時代の医療器-(竹内孝一 昭和62年)の前編は吉田(豊橋)藩浅井完晁・弁安・常三らの関係医家の書簡をもとに,幕末から明治維新までの地方医師の動向が示されている。後編には,種痘史, ...

ばんくーばーのあい  「晩香坡の愛-田村俊子と鈴木悦-」(ドメス出版 昭和57年)は,カナダ在住時代の鈴木悦(1886~1933)・田村俊子(1884~1945)の記録である。鈴木悦は,大正7(1918)年6月田村俊子と同居していた。その後,恋愛の行きづまりから朝日新聞社を退社し ...

ばれいしょのせいしゅん  「ばれいしょの青春-学徒動員日記四一八日-」(名古屋広報研究所 平成3年)は,豊橋市山田町にあった松操高等女学校3年生,伊奈(鶴田)寿美枝の昭和19(1944)年6月25日から翌20(45)年8月17日までの中島飛行機半田製作所半田工場・緒川分工場 ...

はなぞのわがまち  「花園わが町 随筆集」(垉六会 昭和59年)は,明治11(1878)年に,垉六町と下リ町の二つの町が一つになり花園町となって100年を過ぎたのを記念して刊行された。豊橋市花園町の町名は,白山比咩(ひめ)神社の花祭りにちなんで名付けられた。この随筆集 ...

はだめいしょうそうろく  「羽田名蹤綜録」(著者自筆,美濃本1冊,墨付30丁 享和3年)は,「豊橋市史々料叢書」四 「三河国吉田名蹤綜録」の付録として平成9(1997)年翻刻・出版されている。下地村(豊橋市下地町)の山本貞晨が,当時流行した「名所図会」の形式になら ...

ばくまつみかわのくにかんぬしきろく  「幕末三河国神主記録」(清文堂 平成6年)は,羽田村(豊橋市花田町)の羽田八幡宮・田町(豊橋市湊町)の神明社の神主であった羽田野敬雄(1798~1882)の文化8(1811)年から明治12(1879)年までの記録で,原本は「万歳書留控」8 ...

ばくまつびしょうねんろく  「幕末美少年録─上野彰義隊の春田道之助─」(天佑書院「浜田弥兵衛」所収 昭和17年)は,長谷川伸が吉田(豊橋)藩士春田道之助の手記をもとに,昭和13(1938)年「オール読物」の臨時増刊号に掲載した短編小説で,原題は「彰義隊の美少年」で ...

はくとうしゅう  「白湯集」(吉田駅大竹屋寛蔵他 文政6年)は,大田錦城の西遊した折の詩集で半紙本2巻2集のものと,同じ内容で1巻本のものがある。文政6(1823)年に版刻され,名古屋永楽屋東四郎とその他の4書林が発刊した。所収は,詩篇179首,文章11編である。書題は ...

のぎく  「野菊」(大和田建樹 明治42年)は,国文学者で詩人の大和田建樹(1857~1910)が刊行した474ページの書物で,大和田建樹が暮らしの中で経験したこと,紀行文,短歌,詩などのエッセー集である。東三河を旅した時に羽田八幡宮文庫(この中では羽田野文庫となって ...

のうぎょうにちようしゅう  「農業日用集」(文政5年写本 文化2年稿本)は,吉田(豊橋)宿魚町の安海熊野社の神主鈴木梁満(1731頃~1817)が自らも農業をしながら,その経験から農作業のことを書き留めたものである。原本は鈴木家には存在せず羽田野敬雄写本と森田光尋写 ...

のうぎょうときのしおり  「農業時の栞」(乾坤(けんこん)2巻写本 天明5年序)は,農業書として出版され,著者は東海道赤坂宿(愛知県宝飯郡音羽町赤坂)の旅宿紅葉屋の主人細井孫左衛門宜麻である。「農業時の栞」の内容は,木綿など26種類の農作物の耕作法について,鳳来 ...

ねごとぐさ  「ねごと草」(美濃本2巻2冊 寛文2年)は,江戸時代初期,三河国吉田本町(豊橋)に住んでいた町人,小野久四郎によって寛文2(1662)年11月に刊行された小説(仮名草子)である。内容は,三州吉田の余介という主人公が友人の金内とともに赤岩寺に花見に行き, ...

にほんまつこふんぐん  「二本松古墳群」(愛知県営開拓パイロット事業石巻地区埋蔵文化財調査団 昭和51年)は,芳賀陽を調査団長とした調査団によって発行された発掘報告書である。 渥美半島の先端までも豊川の水を供給する目的で計画された豊川用水建設工事の進展に伴い ...

にほんのせいしとし  「日本の製糸都市─都市再生の地理学的研究─」(古今書院 昭和62年)は,日本の製糸都市の形成と推移の研究書である。前橋・古河(こが)・丸子・甲府・豊橋の5都市を取り上げて,明治・大正期から昭和前期および戦中の移り変わりを明らかにした。日本 ...

にほんじんのほね  「日本人の骨」(岩波書店 昭和38年)は,室町時代・鎌倉時代・江戸時代・縄文時代・弥生時代の頭蓋骨・鼻の高さ・身長などを比較して,短頭化・中頭化現象や縄文時代と弥生時代,江戸時代と現代でも大きな変化があったことに言及している。昭和24(1949 ...

にほんしゃかいとうとよはししぶ50ねんのきろく  「日本社会党豊橋支部50年の記録」(金田長市 平成11年)は,昭和20(1945)年11月の日本社会党豊橋支部の結成から,平成8(1996)年12月に解散するまでを,資料をもとに記述したものである。支部結成の過程や解散の経過, ...

にほんこくゆうてつどう100ねんし  「日本国有鉄道百年史」(交通協会 昭和44~49年)は,昭和47(1972)年日本国有鉄道が創業100年を迎える記念事業として企画された。大正10(1921)年,鉄道50周年に際して「日本鉄道史」が刊行されているが,その続編ではなく,新しく10 ...

にしむらじえもんにっき・みうらふかえもんにっき  「西村次右衛門日記(補遺)・三浦深右衛門日記」(豊橋市 平成6年)は豊橋市史々料叢書三として翻刻・出版されている。「西村次右衛門日記」は吉田藩(豊橋)の家老の要職にあった西村次右衛門為周が記した公私日記であ ...

にしむらじえもんにっき  「西村次右衛門日記」(豊橋市 昭和60年)は,豊橋市史々料叢書二として翻刻・出版されている。吉田(豊橋)藩家老職にあった西村次右衛門為周が記した公私日記であり,本書には安政4(1857)年・万延元(1860)年・文久元(1861)年・翌2(62)年 ...

にししんさくのあしあと  「西進策の足あと-或る地方記者の記録」(三河輿論(よろん)新聞社 昭和46年)は,河合陸郎(1902~76)が昭和5(1930)年から同14(39)年までの約10年間,郷土紙「新朝報」および「豊橋同盟新聞」の記者時代に「喫煙室」「一日一題」「独りごと ...

なごやてつどうしゃし  「名古屋鉄道社史」(名古屋鉄道株式会社 昭和36年)は,名古屋鉄道の約70年の歴史を書いたものである。東三河関係については,明治29(1896)年,横山孫一郎(1846~1911)により設立された豊川鉄道株式会社と,大正11(1922)年,吉原祐太郎(1860 ...

とわこえいそう  「登波子詠草」(岩上登波子 文久元年序)は,吉田(豊橋)の女流歌人,岩上登波子(1780~1862)が刊行した歌文集である。岩上登波子が若いころから安政2(1855)年に至る約40年間に詠んだ和歌・和文を全3巻3冊にまとめ,文久元(1861)年に出版した。尾 ...

とよはしりくぐんきょうどうがっこうし  「豊橋陸軍教導学校史」(稿本 平成2年)は,昭和2(1927)年7月,渥美郡高師村の旧歩兵第60聯隊跡(豊橋市町畑町)に創設された下士官養成の学校の歴史を記したものである。教導学校は大正末期の軍縮ののち,陸軍の近代化がすすめ ...

とよはしらいどうひょうき  「豊橋雷動ひょう記」(三興社 昭和11年)は,参陽新聞社主事の近藤鹿堂(健吉)が,「喧嘩は停滞腐敗する時代を促進洗滌(せんじょう)し,生動する波瀾(はらん)・刺激である」と定義して,明治維新から昭和11(1936)年までの豊橋の動向を相対立 ...

とよはしめぐり  「豊橋めぐり」(東三文化会 昭和57年)は,100項目の史跡と都市施設について,その歴史と現況をそれぞれの関連写真を付して紹介したものである。 記述の方法は豊橋を東部,石巻・賀茂,北部,西部,南部,二川・高豊,中央部(吉田城址(じょうし)・大橋 ...

とよはしのれきし  「とよはしの歴史」(豊橋市 平成8年)は,豊橋市制90周年事業の一つとして刊行された。豊橋の原始から現代までが記載されている。市内小中学校社会科研究部会に所属する7人の教員が執筆した。 豊橋市には,それまで「豊橋市史」8巻が刊行されていたが ...

とよはしのちょうめいのへんせん  「豊橋の町名の変遷」(豊橋文化協会 昭和51年)は,豊橋および東三河の土地と結びついた地名を町名の変遷をたどり4部構成で記述したものである。 「豊橋の町名の変遷」は「豊橋文化ニュース」に32回にわたって連載されたものである。吉 ...

とよはしのしせきとぶんかざい  「豊橋の史跡と文化財」(豊橋市教育委員会 昭和56年)は,豊橋市内小中学校社会科研究部に所属していた16人の教員を執筆委員に委嘱して刊行された。内容は,市内に所在する史跡や文化財100か所を選び,これを5地域に分け,1項目ずつ交通案 ...

とよはしのきょういく100ねんのあゆみ  「豊橋の教育百年の歩み」(豊橋市教育委員会 昭和47年)は,学制発布100年を記念して刊行された。学制発布は明治5(1872)年8月で,翌6(73)年から各地に小学校が設けられていった。明治初期の小学校の設立から学校制度の確立期を ...

とよはしてつどう50ねんし  「豊橋鉄道50年史」(豊橋鉄道 昭和49年)は,豊橋鉄道創立50周年を記念して製作された。大正11(1922)年渥美電鉄株式会社が設立され,同13(24)年高師~豊島間に開業した。大正12(1923)年豊橋電気軌道株式会社が設立され,同14(25)年駅前 ...

とよはしちほうのほうげん  「豊橋地方の方言」(豊橋文化協会 昭和47年)は,豊橋ないしは東三河地方を社会的・言語的に記述の対象としたもので3部構成で書かれている。 第1部「豊橋地方の方言」(吉川利明)は著者が自分の方言生活を基に調査研究したことを「豊橋文化ニ ...

とよはしちほうくうしゅうにっし  「豊橋地方空襲日誌」(豊田珍比古稿 昭和20年)は,第2次世界大戦時の昭和19(1944)年11月23日に,はじめて豊橋地方の上空に米軍機B29・2機が進入して以来,翌20(45)年6月の豊橋空襲までの254回におよぶ来襲記録である。各回ごとに, ...

とよはしせいちじぎょうし  「豊橋整地事業誌」(豊橋整地協会 昭和34年)は,「豊橋整地協会」の設立25周年を記念して刊行された。労働生産性の向上を図るために,明治20(1887)年前後,「耕地整理」「土地改良」の理論がヨーロッパから導入され,日本で法整備されたのは ...

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