愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議選に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。現在、豊橋市長(戦後最年少)。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~ ※本ブログは個人の見解であり、組織を代表するものでありません

カテゴリ:18-文化・歴史

とよはししか  豊橋市制実施5周年祝賀の歌(明治44年8月1日)1  今橋城は昔にて  吉田の里も夢なれや  名を豊橋とよびてより  四十余年は過ぎにけり2  市制布かれて五星霜  戸数一万五千あり  人口五万の余を数ふ  県下第二の大都会3  十五師団を迎へては  ...

とよがわのとせん  平安時代の承和2(835)年には,飽海河の渡船を従来の2隻から4隻に増加させる太政官符が出された。これを「飽海の渡し」という。西側は宝飯郡小坂井町平井辺り(柏木の浜)と考えられ,東側ははっきりせず豊橋市の飽海・関屋・城海津・坂津などが推定され ...

とよがわのしゅううん  江戸期の豊川の舟運は,八名郡乗本村(鳳来町)と対岸の設楽郡長篠村(鳳来町)から,鵜飼舟によって吉田(豊橋)・下地・前芝に貨物を送ったものである。鵜飼舟は,長さ7間半・幅4尺5寸で,舟人2人ずつ乗組み,11里を9~10時間かかって下った。 宝 ...

とうごのわたし  当古の渡しは,国道362号(姫街道)の豊橋市石巻本町と豊川市当古町を結ぶ豊川(とよがわ)の渡船である。始まりは明らかでないが,慶長5(1600)年に,創設したとされる。文化13(1816)年に,当古村と中山家の共同経営となり,安政6(1859)年に,当古村営 ...

とうかいどう  江戸期の東海道は,江戸~京都間126里余(約495㎞)の街道であり,江戸日本橋より京三条大橋まで53の宿場があった。宿場の設置は,慶長6(1601)年正月から始まり,豊橋市内には吉田宿と二川宿の2宿がおかれた。街道の管理は,万治2(1659)年道中奉行が設置 ...

てづつはなび  手筒花火は,東三河の伝統行事として,毎年夏吉田神社の祇園祭や秋の羽田祭などで祭の呼び物として若衆により奉納されている。 吉田神社の「三河国古老伝」では,「永禄元年天王祭礼祀ノ花火ト云ウ事始メル」とあり,「吉田神社略記」に「花火ノ創始ハ羽田吉 ...

⇒ 三州馬稼 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...

ちゅうにちまらそん  半世紀以上におよぶ歴史を持つ「日比野賞中日豊橋マラソン大会」の前身は,昭和28(1953)年に名古屋で創設された30㎞のロードレースである。昭和32(1957)年には,フルマラソン大会(42.195㎞)となる。この大会も,昭和36(1961)年の第9回大会から ...

⇒ 豊橋市徽章 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://naga ...

たびねづか  旅寝塚は,豊橋市湊町の神明社(湊町公園)にある芭蕉の句碑で,「寒けれと 二人旅ねそ たのもしき」と刻まれている。昭和7(1932)年11月に豊橋趣味の会によって建立されたもので,碑は高さ130㎝・幅25㎝の桜御影石の柱状で「越人と吉田の驛にて」の前書きも ...

たびにやんでづか  旅に病んで塚は,豊橋市老津町の老津公園にある芭蕉の句碑で,「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻(めぐ)る」と刻まれている。平成6(1994)年10月に三河芭蕉会によって建立されたものである。碑は高さ120㎝・幅95㎝の自然石,表面は長方形に研磨されている ...

だいねんぶつ  嵩山(すせ)の大念仏は,豊橋市嵩山町のうち旧嵩山村であった藤薮・中村・市場・湯巻の各地区に伝承された念仏踊りである。旧盆の14日または15日の夜,集落内で初盆を迎える家を訪れて庭先で念仏踊りを供養し,16日に檀那寺(だんなでら)の正宗寺本堂前で興行す ...

そうへんりゅう  吉田(豊橋)における茶道は,宗へん流の流祖山田宗へん(1627頃~1708)が千宗旦(利休の孫)の高弟となり,明暦元(1655)年29歳の時,師宗旦の代理として,吉田(豊橋)城主小笠原忠知の茶頭となって吉田へ来住した時からはじまるといってよい。小笠原家 ...

ぞうけいぱらだいす  造形パラダイスは,昭和33(1958)年10月,豊橋市神明公園で豊橋まつり協賛行事として開催されたことに始まる。豊橋市立小中学校図工美術研究部が,豊橋市内小中学校児童生徒の作品を集めて野外展示したものである。昭和36(1961)年からは,豊橋公園に ...

すせじゅく  嵩山は,江戸時代を通じて吉田(豊橋)藩領の村で,石高は慶長9(1604)年に599石余,天保5(1834)年には692石余であった。正徳2(1712)年の「嵩山村御指出帳」によると家数158軒,人数855人で,椿実3斗8升5合,石灰96俵を産出する村であった。村内を東海道の ...

すずめいそめしんじ  雀射初神事は,豊橋市日色野町の菱木野天神社と宝飯郡小坂井町の若宮八幡社に伝わる祭礼神事である。雀12羽を捕獲する所作が「雀射初神事」の由来である。祭礼の朝,浜下神事(水垢離(みずごり)で体を清める)を終えた神官と氏子総代が菱木野天神社に出 ...

すけごう  助郷とは,江戸時代の宿場で用意すべき継立人馬(東海道では100人・100疋)が不足する場合に,幕府より指定された村が不足する人足や馬を提供することである。江戸時代初期には宿場が近隣の人馬を雇い不足をおぎなっていたが,幕府道中奉行が宿場ごとに村々を指定 ...

しんそうさい  江戸時代には,宗門人別改などの制度によって,一般庶民も全て仏教による葬儀を行ってきた。明治維新になって政府は,慶応4(1868)年3月,神道を国教化することを目的として,「神仏分離令」を布告して,寺社から神と仏を峻別した。 この神仏分離令によって ...

しんじずもう  神事相撲は,牟呂八幡宮の4月祭礼に行われ,神輿(みこし)渡御の時,境内と御旅所で各2番行われる。この行事は宮座(みやざ)の一環として行われ,奉行,行司,力士(2人)は,大紋,白丁,烏帽子(えぼし)などの装束で神輿の前で奉行の指図により土俵を作り,行 ...

しみんよせ  市民寄席(豊橋文化協会主催)は,本物の寄席を豊橋でも開きたいと,昭和50(1975)年演芸評論家の小島貞二(1919~2003)の提案で始まった。小島貞二が寄席の構成や出演交渉などを行ってきたが,平成15(2003)年6月24日急逝したので,28年間続いた市民寄席も ...

⇒ 豊橋市の花 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://naga ...

⇒ 豊橋市の木 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://naga ...

しせいしこうから100ねん  豊橋が全国62番目の市として市制を施行したのは明治39(1906)年8月1日である。明治21(1888)年,東海道線大府~浜松間の開通に伴い,豊橋駅が開業した。明治30(1897)年,豊川鉄道(飯田線),大正14(1925)年,渥美電鉄(豊橋鉄道渥美線), ...

⇒ 豊橋市徽章 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://naga ...

⇒ 豊橋市旗 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...

しかすがのわたし  志香須賀の渡しは,承和2(835)年の太政官符に飽海(あくみ)川の渡しとあったところで,豊川(とよがわ)の渡しである。東海道の要衝にあたり,古来知られていたが,特に名高くなったのは,天暦8(954)年,村上天皇が皇太后藤原隠子の70の賀のために,内裏 ...

⇒ 豊橋市歌 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...

さんしゅううまかせぎ  三州馬稼とは,江戸時代に三河国設楽郡津具・武節を中心とした村々が行った馬稼のことである。信州と三河両地方間の商人の荷物を運んだ。信州飯田地方からはたばこ・木地椀などを,三河吉田(豊橋)・新城・岡崎からは魚・塩・茶などを運んでいた。吉 ...

さんぎょうぶんかだいはくらんかい  豊橋産業文化大博覧会は,第2次世界大戦後豊橋市が消費都市から産業都市への転換を目指し,不景気を打開するため,昭和29(1954)年3月20日から5月10日まで,吉田(豊橋)城址をメイン会場として開催された。 この博覧会を機に再建され ...

ごしゅいんあらため  「御朱印改め」とは,江戸時代将軍の代替りごとに大名・公家・寺社の持っている領地判物・朱印状を確認し,改めて発給することであり,継目安堵の意味を持つものである。 湊町の神明社(豊橋市湊町)は白鳳元(672)年の創立といわれ,慶安2(1649)年 ...

こしばきねんしょう  小柴記念賞は,豊橋市出身の東京大学名誉教授小柴昌俊博士(1926~ )が,平成14(2002)年12月にノーベル物理学賞を受賞したことを記念して,豊橋市教育委員会が創設したものである。小柴博士は,日本のノーベル物理学賞受賞としては昭和48(1973)年 ...

こくみんたいいくたいかい  第1回国民体育大会は,昭和21(1946)年秋,戦災を免れた京都市を中心に行われた。第5回国民体育大会(秋季)愛知大会は,昭和25(1950)年10月,26競技が県下40会場で開かれた。豊橋会場は軟式野球・自転車・馬術の3競技を開催した。軟式野球は ...

こうもんしゃ  好問社は,明治4(1871)年,穂積清軒(1836~74)によって吉田(豊橋)城二の丸跡に開設された英学塾である。穂積清軒(1836~74)は,吉田藩士喜左衛門の長男である。蘭学を坪井信道,村田蔵六,高畑五郎に学び,幕府の軍艦操練所の翻訳方を勤めたあと,赤 ...

こうがくしょ  皇学所は,明治維新の動乱期に開設された日本最初の国立大学ともいえる学校である。明治元(1868)年9月,明治政府が,京都に設置,12月に開校した。一般には開放されず,公家子弟を主とする貴族学校である。平田鉄胤・玉松操・羽田野常陸らの国学者が中心と ...

ぐらみーしょう  グラミー賞はアメリカのレコード芸術科学アカデミーから,毎年優秀なポピュラー音楽のレコード部門に与えられる賞で,この分野では世界で最も権威がある。昭和33(1958)年にアメリカで創設され,同61(86)年に新設されたニュー・エイジ・ミュージック部門 ...

くだがゆしんじ  石巻神社の管粥神事は,豊橋市石巻町石巻山の山上社で,例年旧正月(2月)14日,15日に行われるその年の農作物の豊凶を占う神事である。 2月14日の夜,丑(うし)の刻(午前1時ごろ)神田で収穫された1升ほどの斎米(ときまい)を葦の茎(管)と一緒に,大き ...

ぎょくおんほうそう  昭和20(1945)年8月15日正午,昭和天皇は,第2次世界大戦終結の詔書をラジオを通して,日本国民に放送した。豊橋市民は焼け残った家のラジオの前に集まり天皇の放送を聞いた。しかし,録音状態が悪くその意味がよくわからなかった。中部日本新聞が終戦 ...

ぎょうめいのわたし  行明の渡しは,豊橋市下条西町と豊川市行明町を結ぶ豊川(とよがわ)の渡船である。始まりは,天文12(1543)年であるとされ,昭和53(1978)年4月に,中条豊橋線(愛知県道394号)の下条橋の完成で廃止された。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のこと ...

ぎおんまつり  吉田神社の祇園祭は,天治元(1124)年,この地に疫病が流行したので,天王を勧請し,祇園会を行ったことが起源であるといわれる。吉田神社の祭礼は,旧暦6月13~15日(現在は新暦7月)に行われ,花火のほかに,今川義元が寄進したという神輿渡御(みこしとぎ ...

かまくらかいどう  鎌倉街道は,鎌倉幕府成立後,鎌倉を中心として放射状に整備された中世交通路のことである。東国を中心に整備された上・中・下の3道が主要なルートであったが,政治の2大中心地であった京・鎌倉を結ぶ中世東海道も鎌倉街道と呼ばれている。 鎌倉幕府は東 ...

かしゅくおおいわむら  大岩の地名は,南北朝期から諸史料にその名を見ることができる。江戸時代以前の詳細については不明な点が多いが,正応元(1288)年岩屋山麓にあった集落が本郷の地へ移転したと伝えられ,その後天正11(1583)年街道替えに伴い元屋敷の地(JR二川駅付 ...

かげぼうしづか  影法師塚は,愛知県経済農業協同組合連合会営農支援センター(豊橋市杉山町新々田)にある芭蕉の句碑で,「すくみ行くや 馬上に氷る 影法師」と刻まれている。平成4(1992)年10月に営農支援センターが建立したもので,碑は高さ150㎝・幅118㎝の御影石, ...

おんぞまつり  (湊町)神明社(豊橋市湊町)の御衣祭は,伊勢の皇太神宮に荒妙(あらたえ)を奉献する儀式である。伝承によれば桓武天皇の御代(781~806)に八名(やな)郡大野の服部(はとり)宮の糸を遠江(とおとうみ)国岡本(引佐郡三ヶ日町)で織って御衣船で伊勢神宮に奉献 ...

おにまつり  安久美神戸(あくみかんべ)神明社は,天慶3(940)年の創建といわれる。平将門の乱が鎮定された報賽(ほうさい)として飽海(あくみ)郷が三河国新神戸として伊勢神宮に献じられた。この神領で行われる神事として,正月15日(2月15日に変更され,現在は2月11日)神楽 ...

おとのかけはしこんさーと  音のかけ橋コンサートは,市民オーケストラの国際交流の機運が高揚するなかで提唱された日独交流の場である。特に豊橋市は,産業界の交流や豊橋日独協会を中核にした民間レベルの友好関係も良好に推移している。そのため,個人,民間団体の草の根 ...

おちばづか  落葉塚は,磯村邸にある芭蕉の句碑である。「百年の 景しきを庭の 落葉哉」と刻まれている。建立年月は不明であるが,明治時代との説がある。碑の大きさは高さ126㎝・幅60㎝で,根府川石の自然石である。句は,元禄4(1691)年,芭蕉48歳,明照寺(彦根市平田 ...

⇒ 加宿大岩村 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://naga ...

いちりづか  一里塚は,街道の両側に1里(約3.9㎞)ごとに木を植えた塚のことで,旅人が道程や目的地への目印としたり,馬や駕籠(かご)の賃銭を支払う目安ともした。慶長9(1604)年徳川家康の命により徳川秀忠が江戸日本橋を起点として東海道をはじめ各街道に一里塚を築き ...

いせとせん  伊勢渡船とは,江戸時代に存在した吉田(豊橋)湊から伊勢の川崎・神社(かみやしろ)などの湊へ渡る船便のことである。多くは三河以東から伊勢参宮をする旅人の近道として使われた。伊勢への渡船は吉田宿船町が事業を独占し,その運賃から上前銭を徴収することが ...

あめりかいみん  アメリカ移民として有名なのは,慶応義塾大学を創設した福沢諭吉の移民計画と外務大臣を務めた榎本武楊の移民計画であった。福沢諭吉は,アメリカのカリフォルニア州に日本村を建設する計画を立て,明治20(1887)年豊橋出身の中村道太に相談した。その結果 ...

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