愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議選に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。現在、豊橋市長(戦後最年少)。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

カテゴリ:01-人物

まきの・なりはる(1682~1707)  牧野成春は,天和2(1682)年10月23日,下総関宿(千葉県関宿町)城主牧野成貞の正室の妹が,大戸吉房に嫁して生んだ子といわれる。元禄6(1693)年,牧野成貞の養子となり,同8(95)年襲封し,宝永2(1705)年,吉田(豊橋)8万石に転封 ...

⇒ 牧野成春 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...

まきの・でんぞう(1776頃~1854)  牧野伝蔵は,渥美郡牟呂村(豊橋市牟呂町)に生まれた。名を佑之といい,也足と号した。寛政6(1794)年,斎藤一握に入門,和算の奥義を究めた。享和2(1802)年「算術当用記」,文政7(1824)年「関流算術問答集」を著した。嘉永7(1854 ...

まきの・しんじ(1911~97)  牧野新二は,明治44(1911)年2月21日,渥美郡牟呂吉田村東豊田(豊橋市北島町)で生まれた。大正15(1926)年,八町尋常高等小学校を卒業し,家業の玉糸製糸業を手伝った。昭和8(1933)年,合資会社ミスズセロファン商会を豊橋市関屋町に設立 ...

まきの・こはく(?~1506)  牧野氏の祖は,長山(豊川市下長山町)の一色刑部の被官として讃岐国から来住して,牧野(豊川市牧野町)に城を築き,瀬木城(豊川市瀬木町)・一色城(豊川市牛久保町)を拠点とした。 牧野成時(法名古白)は,永正2(1505)年,今川氏親(1 ...

まえだ・りくとし(1931~2005)  前田陸利は,昭和6(1931)年2月17日,前田庄一の子として,豊橋に生まれた。時習館高等学校・明治大学と進み,愛知県職員となり,新城事務所長で定年退職した。昭和25(1950)年の愛知国体の馬術競技に出場したあと,同35(60)年の熊本国 ...

まえだ・でんじろう(1832~99)  前田伝次郎は,天保3(1832)年5月2日,渥美郡下細谷村(豊橋市東細谷町)の前田喜代次郎の長男に生まれた。20歳ごろ,魚の仲買人として表浜の生魚を干し鰯,煮干しとして付近の山村に出荷した。慶応元(1865)年から明治4(1871)年に至る ...

まえだ・けんじ(1861~1927)  前田健次は,文久元(1861)年9月15日,渥美郡下細谷村(豊橋市東細谷町)の前田伝次郎の2男に生まれた。17歳の時,渥美郡野依村(豊橋市野依町)の山田家へ養子に行った。明治15(1882)年,前田伝次郎が経営する,細谷製糸所の所員となった ...

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ほんま・しずや(1918~98)  本馬静也は,大正7(1918)年9月29日,渥美郡二川町小松原(豊橋市小松原町)で,本馬豪二の6男として生まれた。昭和8(1933)年,豊橋高等小学校を卒業し,豊田自動織機に勤めた。昭和16(1941)年,応召,南方・満州に出征し,同20(45)年, ...

ほんま・きいち(1891~1987)  本間喜一は,明治24(1891)年7月15日,山形県東置賜郡川西町で,本間熊吉の2男として生まれた。大正4(1915)年,東京帝国大学法科大学を卒業し,司法官試補となり,同6(17)年,判事となった。大正15(1926)年,東京商科大学教授を経て, ...

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ほんだ・けいすけ(1929~97)  本多敬介は,昭和4(1929)年11月11日,名古屋市瑞穂区に生まれた。昭和26(1951)年,浜松工業専門学校を卒業し,魚群探知機販売会社に入社した。しかし,昭和31(1956)年,独立して本多電子工業株式会社を設立した。世界で最初のトランジ ...

ほづみ・せいけん(1836~74)  穂積清軒は,天保7(1836)年1月,吉田(豊橋)藩士穂積喜左衛門の長男として江戸藩邸に生まれた。名を清七郎といった。はじめ坪井信道について蘭学を学んだが,安政6(1859)年,江戸九段坂上の村田蔵六の蘭学塾に入った。文久2(1862)年 ...

ほづみ・しちろう(1904~95)  穂積七郎は,明治37(1904)年9月30日,八名郡能登瀬村(南設楽郡鳳来町)の鈴木麟三の7男に生まれた。昭和5(1930)年,東京帝国大学経済学部を卒業し,商工省に勤務した。このころ,京都の穂積家に入籍,姓を鈴木から穂積に変更した。昭和8 ...

ほった・みのる(1909~72)  堀田実は,明治42(1909)年2月11日,堀田徳次郎の長男として豊橋市旭町で生まれた。昭和3(1928)年,豊橋商業学校剣道講師,同16(41)年,松操高等女学校に奉職。昭和17(1942)年,大日本武徳会から剣道4段を授与された。この年,父・堀田 ...

ほそじま・しょういち(1895~1961)  細島昇一は,明治28(1895)年2月2日,栃木県真岡市に生まれた。大正4(1915)年,栃木師範学校を卒業し,同9(20)年,愛知県第四中学校の美術の教師となった。 アマチュアクラブ・ヴァーデュア画会・白洋社・豊橋洋画協会・造形美術 ...

ほそさこ・ともお(1921~2002)  細迫朝夫は,大正10(1921)年9月30日,山口県に生まれた。昭和20(1945)年,東京帝国大学文学部を卒業し,翌21(46)年に,愛知大学文学部の講師となった。昭和23(1948)年には,愛知大学文学部の助教授となり,同32(57)年,文学部の ...

ほそい・よしまろ(1722頃~88)  細井宜麻は,赤坂宿(宝飯郡音羽町)の旅宿紅葉屋主人細井孫右衛門である。天明5(1785)年「農業時の栞」に作物の栽培実験を行った結果を語っている。耕作法が,記述されている作物は26種類あるが,主として木綿の耕作技術について,天候 ...

ほしの・しんご(1923~97)  星野真吾は,大正12(1923)8月15日,豊橋市魚町の星野文一郎の長男として生まれた。昭和19(1944)年,京都市立絵画専門学校図案科を修了し,日本画科に転科,同23(48)年卒業した。この年,三上誠・山崎隆・青山政吉・八木一夫・不動茂弥・ ...

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ふるいち・もくだ(1727頃~1810)  古市木朶は,吉田(豊橋)で生まれた。父・古市猪左衛門とは2歳の時,母・よしとは7歳の時,死別した。そのため親戚の世話になり,14歳の時,犬山へ行って生業を習ったといわれる。20歳の時,名古屋の五条坊木児に入門して楚笠と名乗り, ...

ふなはし・すいさい(1874頃~1945)  舟橋水哉は,蓮泉寺住職舟橋得忍の長男として生まれた。真宗大学を卒業し,明治44(1911)4月,大谷大学教授となり,倶舎論(くしゃろん)を担当した。大正15(1926)年,大学を退職し豊橋へ帰り,豊橋仏教会長に就任した。その後,豊川 ...

ふない・けんいち(1900~85)  船井健一は,明治33(1900)年8月25日,渥美郡大崎村(豊橋市船渡町)の船井七蔵の5男に生まれた。大崎尋常小学校を卒業し,海苔の養殖とアサリの採取を業とした。昭和16(1941)年から,大崎漁業協同組合理事長,同28(53)年から同30(55) ...

ふじもり・よしお(1857~1908)  藤森彦男は,安政4(1857)年7月8日,吉田(豊橋)藩士岡本彦三郎の長子として江戸藩邸に生まれた。明治元(1868)年,吉田藩士藤森庄六の養嗣子となった。吉田藩儒村井楽所・児島閑窓に学ぶ。明治8(1875)年,愛知師範学校に入学した。明 ...

ふじなみ・かずや(生没年不詳)  藤波一哉は,渥美郡伊良湖岬村(渥美町)の出身で,本名を泰吉,別号を参洋といった。早稲田法律学校を卒業し,豊橋で弁護士を開業した。学生時代から俳句を好み,佐野蓬宇(ほうう)晩年の門人となり,蛙流(ありゅう)と号した。その後,明治 ...

ふじかわ・いっしゅう(1914~92)  藤川一秋は,大正3(1914)年9月14日,額田郡豊富村鳥川(額田郡額田町)の松下房蔵の2男に生まれたが,同村の藤川家を継いだ。愛知県庁勤務の後,昭和10(1935)年に,上京して報知新聞社に入社した。昭和14(1939)年,東京シャリング ...

ふくたに・もとじ(1860~1943)  福谷元次は,安政7(1860)年2月18日,宝飯郡柴屋村(豊橋市大村町)の林勝蔵の2男に生まれた。明治15(1882)年,豊橋札木町の旅籠(はたご)丁字屋,福谷藤十郎の養嗣子となった。明治22(1889)年,豊橋町会議員,同34(1901)年,豊橋町 ...

ふくたに・すいちく(1787頃~1850)  福谷水竹は,吉田西町(豊橋市松葉町)の油屋で,福谷藤左衛門世黄(よつぎ)という吉田藩の御用達であった。赤守の号で狂歌を作っていたが,文政4(1821)年ごろから,岡崎の鶴田卓池(1768~1846)に,師事して俳諧を学んだ。 嘉永元 ...

ふくたに・けいきち(1819~89)  福谷啓吉は,文政2(1819)年7月,吉田(豊橋)萱町の秤屋福谷喜久蔵の子として生まれた。弘化元(1844)年ごろ,吉田西町(豊橋市松葉町)の福谷藤左衛門に従って京都に上り,宿泊した旅館の身寄りの者と長崎へ同行した。煙火を製造するこ ...

ふくだ・まさよし(1899頃~1981)  福田正義は,渥美郡豊橋町新川(豊橋市新吉町)に生まれた。13歳の時,本因坊秀哉の内弟子となり,昭和12(1937)年,日本棋院から囲碁の海外普及のためドイツに派遣された。昭和14(1939)年,ドイツ人ブラヘッタとの対局が当地のテレビ ...

ふくしま・けんきち(1768頃~1836)  福島献吉は,吉田(豊橋)藩士福島伝蔵思斎の子として生まれた。文政3(1820)年,吉田藩主松平信順(のぶより)に新田開発見込書を提出し,その許可を得た。養子留吉の実父柴田猪助善伸の協力を得,豊川(とよがわ)河口左岸に150町歩を開 ...

⇒ 福井道二 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...

ふくい・みちじ(1901~91)  福井道二は,明治34(1901)年5月22日,豊橋に生まれた。旅順工科大学機械工学科を卒業し,大正14(1925)年から昭和20(1945)年まで,南満州鉄道に勤務した。第2次世界大戦後帰国して,昭和22(1947)年,漁網工場を開設,同25(50)年,福井 ...

ふくい・としき(1923~94)  福井敏規は,大正12(1923)年1月1日,生まれた。昭和17(1942)年,広島高等工業学校醸造学科を卒業し,大阪国税局に勤務した。昭和23(1948)年,帰郷し,家業の福井酒造を継いだが,同37(62)年福井酒造から分離独立した福井商事株式会社 ...

ふかい・せいか(1827~88)  深井清華は,文政10(1827)年1月15日,吉田(豊橋)藩の家老深井藤右衛門資敬の子として生まれた。深井家は,藩祖松平伊豆守信綱の生母の里方にあたるので,藩士の中では格別の家柄で,禄高700石,代々吉田藩の重職を務めてきた。清華は雅号 ...

ひらやま・じんた(1840~1900)  平山甚太は,天保11(1840)年1月13日,吉田(豊橋)藩士中村哲兵衛の2男として生まれたが,吉田藩士平山清助の養嗣子となった。第八国立銀行を設立した中村道太の弟である。 明治3(1870)年,横浜ではじめて花火を打ち上げたといわれる ...

ひらの・けんじ(1900~85)  平野賢治は,明治33(1900)年8月20日,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)に生まれた。昭和6(1931)年,豊橋市北島町に豊橋飼料合名会社を創立し,同12(37)年豊橋市牟呂町扇田に移転した。昭和19(1944)年,豊橋飼料株式会社社長に就任した。昭 ...

⇒ 夏目可敬 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...

ひさだ・ぜんこう(1869~1947)  久田全珖は,明治2(1869)年6月24日,海部郡高台寺村(津島市高台寺町)に生まれた。幼少期に愛知郡荒子村(名古屋市中川区荒子町)の荒子観音寺住職澳取邑全能について得度した。その後,明治24(1891)年10月,天台座主実源大僧正につい ...

ひこさか・としお(1920~2003)  彦坂としをは,大正9(1920)年12月1日,豊橋市吾妻町に生まれた。本名を敏夫という。昭和13(1938)年,豊橋市立商業学校を卒業した。戦後は,豊橋市東雲(しののめ)町で燃料商として生計を立てた。 林家正楽からもらった切り絵が,切り絵 ...

ひこさか・こうたろう(1873~1907)  彦坂幸太郎は,明治6(1873)年2月22日,渥美郡西七根(にしななね)村(豊橋市七根町)の高橋喜重郎の長男に生まれたが,同28(95)年渥美郡高師村本郷(豊橋市高師本郷町)の彦坂栄作の養嗣子となった。明治28(1895)年愛知県第一師範 ...

ひこさか・きくさく(1803頃~79)  彦坂菊作は,吉田御輿休(みこしやすみ)町(豊橋市新本町)の田中嘉兵衛の長男として生まれた。吉田新銭町(豊橋市広小路三丁目)の彦坂喜平の養嗣子となった。天保5(1834)年,牧野伝蔵から関流和算の免状を受ける。江戸に出て和田寧に ...

ひきた・かつお(1905~2000)  匹田勝夫,本名和夫は,明治38(1905)年8月20日,宝飯郡一宮村に生まれた。小学校5年のころより,豊橋右武(ゆうぶ)学院範士堀田徳次郎に剣道を学んだ。大正13(1924)年,小学校教員となり各種大会に出場した。昭和27(1952)年,豊橋市南稜 ...

はらだ・まんきゅう(1847~1910)  原田万久は,弘化4(1847)年6月5日,吉田田町(豊橋市湊町)の煙草製造業者7代原田久助の長男に生まれた。幼名を清蔵といったが,8代万屋久左衛門の商号万久を通称とした。明治14(1881)年,煙草製造業者の同業組合・万久製煙社を設立 ...

⇒ 千体骨地蔵(民話) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog htt ...

はらだ・せんじろう(1898~1959)  原田仙二郎は,明治31(1898)年5月15日,北設楽郡御殿村月(北設楽郡東栄町月)の原田為五郎の2男として生まれた。早稲田大学を卒業し,大正10(1921)年,豊川鉄道に入社し,豊川鉄道の取締役支配人,鳳来寺鉄道・田口鉄道などの取締役 ...

⇒ 玄武門1番乗り - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http:// ...

はらだ・けいがく(1803頃~85)  原田圭岳は,西尾(西尾市)の商人宿を営む原田七右衛門の子に生まれた。名を甫,字(あざな)を林広といい,号を圭岳と称した。画を京都四条派の岡本豊彦に学び,天保(1830~44)初年,帰郷した。しかし,父母ともに没し頼る所がなかったの ...

はやし・だいさく(1905~85)  林大作は,明治38(1905)年,八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)に生まれた。東京帝国大学法学部を卒業し,三井物産から交易営団に移り,上海支部長を務める。第2次世界大戦後,片山哲の法律事務所で働き,昭和22(1947)年,日本社会党から衆議 ...

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