愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

カテゴリ:01-人物

もくの・じんしち(1814~1904)  杢野甚七は,文化11(1814)年3月15日,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)の杢野銀右衛門の子に生まれた。嘉永6(1853)年冬,蛤(はまぐり)を囲った葦簀(よしず)や竹・籐蔓(ふじつる)などに海苔(のり)が付着しているのを発見した。安政元(1854 ...

もうり・よしひさ(1860~1941)  毛利祥久は,安政7(1860)年3月6日,周防国佐波郡上右田(かみみぎた)村(山口県防府市)に毛利元亮の子として生まれた。明治18(1885)年,姉婿・毛利内匠藤内死去後家督を相続し,百十国立銀行頭取となった。明治12(1879)年から同13(8 ...

⇒ 17人の郷士 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://naga ...

むらまつ・ゆういち(1926~2003)  村松裕一,本名良(はじめ)は,大正15(1926)年4月30日,八名郡石巻村小野田(豊橋市石巻小野田町)で生まれた。小学4年生の時に病気にかかり,長い闘病生活の後にクリーニング店を営む。そのかたわら,熊谷武至の短歌会で学び,また,大 ...

むらた・けいじろう(1924~2003)  村田敬次郎は,大正13(1924)年2月12日,豊橋市清水町(豊橋市広小路三丁目)で村田可也の長男に生まれた。京都大学を卒業し,自治庁・愛知県建築部長を経て,昭和44(1969)年,衆議院議員に当選,平成13(2001)年引退するまで,連続1 ...

⇒ 村雨案山子 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://naga ...

むらさめ・かかし(1849~1919)  村雨案山子は,豊橋を代表する自由民権派の壮士で,のぶはその妻である。村雨案山子は,吉田(豊橋)藩士で家禄50石,目付役の村雨吉五郎武簡の長男で,初名を吉太郎といった。村雨案山子は,父・吉五郎の跡を継いで直心影流を学び,明治初 ...

むらい・げんさい(1863~1927)  村井弦斎,本名寛は,文久3(1863)年12月18日,吉田(豊橋)藩の儒者の家柄に生まれた。上京して東京外国語学校でロシア語を学んだが,病気のため中退した。明治18(1885)年,アメリカに渡って苦学した。帰国後,実業家を志した。しかし ...

みわ・ひろただ(1856~1927)   三輪弘忠は,安政3(1856)年9月30日,吉田(豊橋)藩士三輪孫四郎の長男に生まれた。明治維新後教員を志し,明治9(1876)年,愛知県養成学校を卒業して小学校教員となり,同20(87)年,宝飯郡第一高等小学校長,同25(92)年,国府高等 ...

みやわき・りょういち(1923~90)  宮脇良一は,大正12(1923)年12月28日,豊橋に生まれた。昭和20(1945)年神宮皇学館を卒業,共同通信社,中部日本新聞を経て,中部経済新聞社豊橋支局長・編集局報道部長となる。昭和38(1963)年9月,杉田有窓子の委嘱を受けて不二タ ...

みやべ・えんじょう(1854~1934)  宮部円成は,嘉永7(1854)年,近江国浅井郡宮部村(滋賀県東浅井郡虎姫町)の法信寺に生まれた。明治5(1872)年,推挙されて真宗会議所の幹事に任命された。明治20(1887)年,真宗大学寮を卒業し,1年間欧米に遊学した。帰国後,大谷 ...

みやじ・つねお(1795~1870)  宮路恒雄は,寛政7(1795)年,高須新田(豊橋市高州町)に生まれた。農民ではあったが,中山美石(うまし)に師事して和歌をよくした。慶応2(1866)年,刊行された「類題参河歌集」に22首収載されている。明治3(1870)年12月23日,没した。 ...

みやけ・とし(1888~1966)  三宅敏は,明治21(1888)年3月30日,岡山県児島郡大崎村(玉野市八浜町大崎)で,三宅藤四郎の長男として生まれた。東京帝国大学医科大学医学科を卒業し,大正3(1914)年,伝染病院研究所技師を経て,大正5(1916)年,愛知県渥美郡田原病院 ...

みやがわ・よねつぐ(1885~1959)  宮川米次は,明治18(1885)年2月4日,渥美郡豊岡村(豊橋市春日町)の今泉七作の4男に生まれたが,渥美郡畠村(渥美郡渥美町福江)の宮川家の養嗣子となった。明治43(1910)年,東京帝国大学医科大学を卒業し,大正6(1917)年,医学博 ...

みなもとの・よりとも(1147~99)  源頼朝は,久安3(1147)年4月8日,尾張熱田(名古屋市)で,源義朝の3男として生まれた。3男ではあるが,母が熱田神宮司藤原季範女であるため,嫡子とされた。治承4(1180)年の挙兵以来,建久元(1190)年と同6(95)年の2回上洛してい ...

みつだ・じゅきち(1884~1947)  満田樹吉は,明治17(1884)年12月14日,旧岡崎藩士西山芳六の4男として生まれたが,5歳の時,医師満田英伯の養嗣子となった。東京赤坂の裁縫練習所へ進み,明治41(1908)年,帰郷して,翌42(09)年,日比オリガ(1887~1961)と結婚した ...

⇒ 満田樹吉 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...

みずの・やすし(1884~1975)  水野保は,明治17(1884)年7月23日,宝飯郡津田村(豊橋市横須賀町)の水野庄蔵の7男に生まれた。明治37(1904)年,陸軍士官学校を卒業,昭和7(1932)年,陸軍少将で予備役に編入された。昭和20(1945)年5月6日,豊橋市長に就任した。本 ...

みずの・ただよし(1612~76)  水野忠善は,慶長17(1612)年,水野忠元の子として生まれた。元和6(1620)年,遺領を継いだ。寛永19(1642)年,駿河田中(藤枝市)4万5000石から三河吉田(豊橋)に転封した。寛永19(1642)年から同20(43)年は,全国的な飢饉の年であっ ...

みずの・ただきよ(1582~1647)  水野忠清は,天正10(1582)年,水野忠重の4男として,刈谷で生まれた。寛永9(1632)年,三河刈谷2万石から2万石を加増されて三河吉田(豊橋)4万石の城主として入封した。寛永11(1634)年,徳川家光の上洛に供奉(ぐぶ)した。その帰途, ...

みずかみ・よしお(1918~98)  水上義雄は,大正7(1918)年7月5日,水上金助の子として,岐阜県吉城(よしき)郡坂下(さかしも)村祢宜ヶ沢上(ねがそうれ)(吉城郡宮川村)で生まれた。昭和17(1942)年法政大学卒業後陸軍に入隊,第2次世界大戦終戦により復員し,同20(45) ...

みうら・へきすい(1841~1915)  三浦碧水は,天保12(1841)年11月29日,吉田(豊橋)藩札元三浦深右衛門の2男に生まれた。幼名を陽次郎といい,字(あざな)を温夫と称した。文久のころ(1861~64),江戸に出て幕臣高畠眉山について西洋流兵学・砲術を学ぶ。慶応4(1868) ...

みうら・ちくけい(1689頃~1756)  三浦竹渓は,元禄2(1689)年,三浦平右衛門の子として,江戸に生まれた。荻生徂徠(おぎゅうそらい)(1666~1728)の高弟で柳沢吉保に仕えていた。享保18(1733)年,松平(大河内)信祝(のぶとき)が浜松藩主であった時,荻生徂徠の嗣子 ...

まんねん・みょうぎょう(1742頃~1816)  万年妙暁は,設楽郡出沢(すざわ)村(新城市出沢)の滝川家に生まれた。宝暦4(1754)年,東観音寺で得度し,京都に学び,明和8(1771)年,嵩山正宗寺(すうざんしょうじゅうじ)(豊橋市嵩山(すせ)町)に来住した。天明5(1785)年 ...

まるやま・かおる(1899~1974)  丸山薫は,明治32(1899)年6月8日,父の任地大分市で生まれた。父・重俊は熊本藩士の家に生まれ,内務省に勤務した。丸山薫の出生時は,大分県警察部長であった。その後,島根県知事となったが,明治44(1911)年,病気のため死去した。そ ...

まるも・とうへい(1882~1956)  丸茂藤平は,明治15(1882)年3月25日,長野県諏訪郡玉川村(茅野市玉川)に両角(もろずみ)彦五郎の2男に生まれたが,丸茂米作の養嗣子となった。明治41(1908)年,京都帝国大学を卒業し,高等文官試験に合格し,愛知県警察部長・京都府警 ...

まるち・こうのすけ(1886~1972)  丸地幸之助は,明治19(1886)年12月8日,渥美郡東田村(豊橋市東田(あずまだ)町)西郷に生まれた。古城と号した。大正3(1914)年から同10(21)年,名古屋新聞豊橋支局長を務め,同13(24)年,豊橋市会議員に当選した。昭和4(1929) ...

まつだいら・のぶより(1793~1844)  松平(大河内)信順は,寛政5(1793)年6月7日,松平(大河内)信明の庶子として生まれたが,寛政9(1797)年,嫡子となり,文化14(1817)年,父・松平信明の没後,家督を継いだ。学問を好み,漢学を大田錦城に学び,中山美石(うまし) ...

まつだいら・のぶひさ(1829~88)  松平(大河内)信古は,文政12(1829)年4月23日,越前国鯖江(鯖江市)藩主間部詮勝(まなべあきかつ)の2男に生まれた。嘉永2(1849)年7月27日,松平(大河内)信璋(のぶあき)の没後,末期養子として吉田(豊橋)藩主に迎えられた。嘉永 ...

まつだいら・のぶなお(1719~68)  松平(大河内)信復は,享保4(1719)年4月4日,松平(大河内)信祝(のぶとき)の子として江戸藩邸で生まれた。延享元(1744)年,松平(大河内)信祝が没すると,遺領遠江(とおとうみ)浜松7万石を継いだ。ついで,寛延2(1749)年,三河 ...

まつだいら・のぶとき(1683~1744)  松平(大河内)信祝は,天和3(1683)年11月6日,下総国古河(茨城県古河市)で,松平信輝の子に生まれたが,6歳の時叔父松平正綱の養嗣子となった。正徳2(1712)年,下総国古河から三河吉田(豊橋)7万石に転封となる。2年後には,奏 ...

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まつだいら・のぶあきら(1763~1817)  松平(大河内)信明は,宝暦13(1763)年2月10日,松平(大河内)信礼(のぶうや)の庶子として生まれたが,明和6(1769)年,嫡子となり,翌7(70)年6月22日,松平信礼が没すると家督を継ぎ,吉田(豊橋)7万石を襲封した。松平信明 ...

⇒ 松平(大河内)信順 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog htt ...

⇒ 松平(深溝)忠利 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http: ...

まつだいら・ただとし(1582~1632)  松平(深溝)忠利は,天正10(1582)年1月16日,松平家忠の子として,三河国深溝(額田郡幸田町)で生まれた。父・松平家忠は,慶長5(1600)年,徳川家康が奥州の上杉征討に出発した時,伏見城防備にあたっており,石田三成勢に攻めら ...

⇒ 松平(竹谷)家清 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http: ...

まつだいら・すけのり(1700~52)  松平(本庄)資訓は,元禄13(1700)年に生まれた。享保8(1723)年,松平(本庄)資俊の遺領浜松7万石を継ぎ,同14(29)年,松平(大河内)信祝(のぶとき)と交替して遠江(とおとうみ)国浜松から三河吉田(豊橋)7万石に入封した。松平 ...

まつだいら・いえきよ(1566~1610)  松平家清は,永禄9(1566)年,竹谷松平清宗の嫡男として三河竹谷(蒲郡市)に生まれた。天正9(1581)年,元服し,家康の一字を賜り家清と名乗った。妻は久松俊勝の息女・於きんの方で,妻の母は伝通院於大(おだい)の方,すなわち徳川 ...

まつだ・しかぞう(1871~1956)  松田鹿三は,明治4(1871)年5月20日,尾張藩士松田堅治(1837~1900)の2男として名古屋で生まれた。長男が夭死したため,嗣子として育てられた。名古屋で関治小学校に入学するが,父・松田堅治が渥美郡役所に転勤したため,明治12(1879 ...

まつした・てつさぶろう(1853~1900)  松下鉄三郎は,嘉永6(1853)年8月21日,吉田(豊橋)藩士松下半助の長男に生まれた。明治6(1873)年,上京して中村道太経営の中村屋洋品店に奉公した。明治7(1874)年,中村屋が丸屋(丸善)と合併したので丸屋の店員となった。明 ...

まつした・ただお(1917~2001)  松下忠男は,大正6(1917)年3月15日,豊橋市岩崎町に生まれた。横浜専門学校を卒業し,昭和12(1937)年東京鉄道局,同18(43)年名古屋鉄道局,同24(49)年静岡鉄道管理局に勤務した。昭和40(1965)年豊橋駅長,同43(68)年運輸長を経 ...

まつざか・ふくしろう(1833~92)  松坂福四郎は,飽海(あくみ)松坂(田中新田松坂の分家)2代松坂重禄(しげよし)の3男に生まれた。幼少より将棋を好み,10歳のころには地元で有名となった。13歳で江戸へ出て幕府の将棋所,大橋宗桂の門に入り,その年に初段となった。24歳 ...

まつざか・しげます(1805~70)  松坂重賜,字賚(たまう)は,文化2(1805)年4月20日,田中新田(豊橋市牛川町)5代松坂重(しげ)たねの子として生まれた。文化13(1816)年,父・松坂重たね没後6代を相続,分家した姉婿松坂忠慎が後見した。文政元(1818)年,吉田(豊橋) ...

まつざか・さいち(1898~2000)  松坂佐一は,明治31(1898)年11月13日,岡山県都窪郡茶屋町(倉敷市)で生まれた。10歳で豊橋市曲尺手(かねんて)町の松坂家の養嗣子となる。大正12(1923)年,東京帝国大学法学部を卒業し,昭和2(1927)年,京城帝国大学助教授となり, ...

まつざか・いほえ(1827~1903)  松坂重澄(初代五百枝)は,文政10(1827)年7月20日,6代松坂重賜(しげます)の子として生まれた。初名国光,字(あざな)光典,通称幸太郎・長四郎といった。文久2(1862)年,田中神明社神主を継ぎ,松坂越後と称した。明治2(1869)年,家 ...

まつい・ゆずる(1839~1911)  松井譲は,天保10(1839)年12月10日,吉田(豊橋)藩重役の家に生まれた。通称を郷左衛門といった。嘉永7(1854)年,家督を継ぎ,近習・者頭・用人並を経て,慶応2(1866)年,中老之通に昇進した。明治維新にあたって,豊橋藩権大参事とし ...

⇒ 牧野古白 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...

まきの・もさぶろう(1898~1986)  牧野茂三郎は,明治31(1898)年7月8日,豊橋呉服町に生まれた。愛知県第四中学校を卒業し,昭和2(1927)年,渥美電鉄に勤め,同9(34)年より,豊橋市役所に勤務した。昭和28(1953)年,豊橋博覧会事務局次長,豊橋市水道局長で退職し ...

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