愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

カテゴリ:01-人物

わで・とくいち(1922~2005)  和出徳一は,大正11(1922)年5月30日,北設楽郡本郷町(北設楽郡東栄町本郷)で,和出栄太郎の長男として生まれたが,昭和2(1927)年,5歳の時,父が死去して,母子3人で豊橋に移り住んだ。昭和16(1941)年,豊橋第二中学校を卒業し,南満 ...

⇒ 17人の郷士 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://naga ...

わたなべ・へいないじ(1852~1925)  渡辺平内治は,嘉永5(1852)年11月,三河国渥美郡馬見塚村(豊橋市川崎町)の渡辺寛の長男として生まれた。幼名は潔,明治10(1877)年,24歳で家督を相続し,平内治を襲名した。明治5(1872)年,村の総代に推挙されて以来,宝飯郡鹿 ...

わたなべ・ときお(1907~79)  渡辺登喜雄は,明治40(1907)年3月11日,八名郡大野町(南設楽郡鳳来町大野)の渡辺寅吉の長男として生まれた。昭和2(1927)年,青山学院英文科を卒業し,名古屋新聞の記者となる。昭和19(1944)年,中部日本新聞出版部長を最後に退社,一 ...

⇒ 渡辺小華 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...

わたなべ・しょうか(1835~87)  渡辺小華は,天保6(1835)年1月7日,三河田原藩士渡辺崋山の2男として,江戸の藩邸に生まれた。名諧,小華と号した。弘化4(1847)年,江戸に出て椿椿山(つばきちんざん)に画を学んだ。兄・立が早世したため,安政3(1856)年,家督を継 ...

わだ・やすいち(?~1956)  和田保一は,豊橋市東田(あずまだ)町に生まれた。豊橋市八町高等小学校補習科を卒業し,上京して美術学校に通いながら,佐藤惣之助の門に入り詩を書いた。彼の詩が華麗で官能的であると評されたのも美術の素養のためで,この詩のスタイルは終生 ...

りか・きよし(1923~2004)  リカ・キヨシは,本名李承源,李家清一と称した。大正12(1923)年4月,朝鮮南部の晋州で生まれた。両親が,東京近郊に移住した後に渡日した。昭和13(1938)年,豊橋高等小学校を卒業し,豊橋市役所に勤務した。しかし,日本の敗戦によって職 ...

よしみ・まさきち(1892~1972)  吉見政吉は,明治25(1892)年7月31日,豊橋町花園町で生まれた。明治42(1909)年,豊橋珠算学校を創立した。大正12(1923)年4月より,豊橋商業学校・豊橋商業高等学校に30余年勤続した。 昭和30(1955)年には,愛知県産業教育功労者と ...

よしみ・ひさゆき(1936~98)  吉見久之は,昭和11(1936)年6月4日,豊橋市花園町(広小路二丁目)の吉見政吉の4男として生まれた。岡山大学を卒業し,昭和35(1960)年,高等学校教員となった。教員時代,ブリキの玩具に魅せられ収集と研究を始めた。昭和40(1965)年ご ...

よしはら・ゆうたろう(1860~1936)  吉原祐太郎は,万延元(1860)年8月17日生まれ,三河国渥美郡の芦原新田(豊橋市芦原町)を開発した吉原弥次右衛門の末裔(まつえい)である。明治12(1879)年,郡内有志とともに農事団体を興す。明治20(1887)年,勧業協会と名付ける ...

よしはら・やじえもん(?~1673)  吉原弥次右衛門は,遠江国敷知(ふち)郡利木(りき)村(湖西市利木)の人である。吉原弥次右衛門重次(初代)が,明暦2(1656)年,吉田(豊橋)藩主小笠原忠知に梅田川下流右岸の新田開発を願い出た。明暦3(1657)年,3代・吉原弥次右衛 ...

よしはら・はつ(1894~1985)  吉原はつは,明治27(1894)年1月27日,渥美郡高師村(豊橋市芦原町)に吉原祐太郎の長女として生まれた。東京女子大学校を卒業し,女子青年団の講師となる。その後,大日本連合婦人会や大日本女子青年団の講師として,婦人の地位向上につい ...

よしはま・ゆうじろう(1869~1934)  吉浜勇次郎は,明治2(1869)年7月2日,神奈川府保土ヶ谷(横浜市保土ヶ谷区)に生まれた。駒場農学校に学んだ。明治38(1905)年,家督を弟に譲り,豊橋に移住し吉屋町(豊橋市新吉町)で,輸出品のリンネル半幅の糸抜工業を始めた。 ...

よしはし・とくさぶろう(1870~1920)  吉橋徳三郎は,明治3(1870)年11月13日に埼玉県に生まれ,陸軍士官学校(第2期生)を経て騎兵将校となった。日露戦争で吉橋徳三郎中佐は第3師団参謀として従軍し,黒溝台の会戦では秋山好古少将の率いる秋山支隊に第3師団所属の騎兵 ...

よこやま・まごいちろう(1846~1911)  横山孫一郎は,弘化3(1846)年,茨城県の横山彦兵衛の長男として生まれる。翻訳局の始設に尽力する。また,大倉喜八郎と商社を興し,大倉組ロンドン支店を開設し,貿易事業に貢献した。帝国ホテル・国光生命・大日本ホテルなどの重 ...

よこた・ぜんじゅうろう(?~1922)  横田善十郎は,豊橋本町の菓子司,横田屋甘露軒,横田三嶺の2男として生まれた。全国菓子連合会本部総代の時,菓子業者は砂糖の輸入税と菓子の卸売税との二重課税であったのを不合理として,東奔西走し,明治18(1885)年から同29(96 ...

よこた・しょうしん(1925~2002)  横田正臣は,大正14(1925)年1月19日,海部郡七宝村役場に勤務していた横田常三の2男に生まれた。昭和7(1932)年,父の死去により豊橋市牟呂町に帰郷し,牟呂尋常高等小学校を卒業し,日本冷蔵に勤めた。18歳の時,逓信省興亜通信工学 ...

よこた・しのぶ(1883~1956)  横田忍は,明治16(1883)年9月8日,渥美郡牟呂村(豊橋市牟呂町)の横田源次郎の3男に生まれた。日露戦争に陸軍少尉として従軍する。明治40(1907)年,愛知県属となり,大正15(1926)年から昭和5(1930)年の間,田部井(ためがい)勝蔵豊橋 ...

よこい・しょういち(1915~97)  横井庄一は,大正4(1915)年3月31日,海部郡富田村(名古屋市中川区)に生まれ,豊橋の花井洋服店に勤務した。昭和13(1938)年に,召集された。翌昭和14(1939)年,召集解除になった。昭和16(1941)年,再度召集されて華北・満州を経て ...

ゆさ・ひらく(1855~1928)  遊佐発は,安政2(1855)年10月11日,吉田(豊橋)藩士遊佐(ゆさ)笑叟の長男に生まれた。明治13(1880)年ごろから,自由民権運動に没頭した。明治17(1884)年,飯田事件ではいったんは逮捕されたが,証拠不十分で免訴となった。明治22(1889 ...

ゆさ・こうへい(1883~1966)  遊佐幸平は,明治16(1883)年7月25日,宮城県で生まれた。陸軍士官学校第16期の卒業で,大正3(1914)年から3年間,騎兵将校として馬術研究のためフランスへ留学する。昭和3(1928)年,騎兵第14聯隊長に赴任,第9回アムステルダムオリンピ ...

ゆうしょうけん・ごどう(1833~1904)  幽照軒五道は,天保4(1833)年4月,渥美郡志田村(田原市神戸町)に生まれた。俗名を仲井伝之助といった。弘化2(1845)年,吉田(豊橋)悟真寺の諦誉上人に随身し,馬見塚村(豊橋市馬見塚町)専願寺住職となり,徳弁と名乗った。 ...

やまもと・れいこ(1912~80)  山本礼子は,大正元(1912)年8月14日,和歌山県日高郡御坊町(御坊市)の津村左右衛門の子に生まれた。東京女子経済専門学校を卒業し,昭和10(1935)年,豊橋の山本貞(ただし)と結婚した。山本貞(1909~93)は,網太製網合資会社代表社員 ...

やまもと・やすたろう(1873~1953)  山本安太郎は,明治6(1873)年9月6日,知多郡豊浜村須佐(知多郡南知多町)の8代山本太次兵衛の弟である。初代太次兵衛は,文化14(1817)年,麻糸を手編みする魚網の製造を開始した。明治期になって綿魚網の製造が始まり,明治42(19 ...

やまもと・はやお(1825~74)  山本速夫は,文政8(1825)年12月20日,吉田(豊橋)藩士亀井六五左衛門の子に生まれた。はじめ亀井孫六といったが,元治元(1864)年,蛤御門の変のころ脱藩して山本一郎から速夫と改名した。慶応3(1867)年,鷲尾隆聚の挙兵に東三番隊長と ...

やまもと・ていしん(1775頃~1821)  山本貞晨は,宝飯郡下地村(豊橋市下地町)の板屋の子に生まれた。通称を板平,須摩板琴と号した。享和3(1803)年,「三河大津名しょう綜録(めいしょうそうろく)」「羽田名蹤綜録」「三河国下地名蹤綜録」の3部を著わす。文化3(1806 ...

やまもと・ただすけ(1822~75)  山本忠佐は,文政5(1822)年8月6日,遠江(とおとうみ)新居関所の小役人山本定七直正の長男に生まれた。幼名を勘三郎,謙斎・恕軒と号した。吉田(豊橋)藩校時習館教授中山美石(うまし)に学ぶ。天保14(1843)年,家督を継ぎ,時習館素読 ...

やまもと・しょうじ(1871頃~1931)  山本松二は,豊橋上伝馬町に生まれた。若いころより,書画骨董に親しみ「天籟園」という名の表具屋を営んでいた。政治に関心を持ちはじめ,大正元(1912)年,市会議員に当選した。 大正初期の豊橋の政界は同志派と実業派が市政を2分 ...

やまもと・さんたろう(1837~97)  山本三太郎は,天保8(1837)年8月18日,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)の加藤六蔵正柔の2男に生まれた。宝飯郡下地村(豊橋市下地町)の製油業・山本家の養嗣子となる。文学を大田晴軒,武術を寺尾大之進に学んだ。明治13(1880)年から ...

やまもと・かんすけ(1493~1561)  山本勘助は,明応2(1493)年8月15日,八名郡加茂庄(豊橋市賀茂町)で,2500石を領した山本光幸の第3子に生まれたという。「参河国名所図絵」や「牛久保密談記」には明応9(1500)年8月5日,山本藤士郎の3男とある。「甲陽軍鑑」では明 ...

やまだ・やすへい(1869~1938)  山田安平は,明治2(1869)年10月22日,山田安蔵の長男として生まれた。山田安平は家業を継ぎ,明治42(1909)年,一星青物市場に対抗して豊橋青乾物会社を河合虎三郎・倉橋源平・中島駒次・小山秀作・中村為太らと創立して,食料品・青果 ...

⇒ 山田安平 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...

やまだ・のぶお(1932~98)  山田信夫は,昭和7(1932)年7月11日,父の勤務地であった中国・上海で生まれた。昭和20(1945)年,豊橋に引き揚げ,豊橋工業高等学校電気科を卒業し,愛知大学および早稲田大学に進学した。その後,女子校教諭や業界紙記者などを経て,昭和34 ...

やまだ・そうへん(1627頃~1708)  山田宗へん,本名周学は,京都二本松(上京区)の出身(「参河名所図絵」には,渥美郡大草村の生まれとある)で東本願寺の末寺長徳寺5世を継いだ。初名を周覚,宗円といい,生来茶を好み,6歳にして小堀遠州に師事する。18歳の時,千宗旦 ...

やました・あいか(生没年不詳)  山下愛花(学文)は,宝飯郡下地町(豊橋市下地町)の出身で,浜松で「浜松短花会」を興し,「夏の花」の題を課して短歌を募集した。これに応じたのが朝倉天易・下村快雨・柳本城西・佐野蓬舟であった。山下愛花は,応募歌のすべてを伊藤左 ...

やまざき・しんたろう(1861~1935)  山崎新太郎は,文久元(1861)年3月10日,出羽国南置賜郡元馬喰町(米沢市)で米沢藩士山崎新作の長男として生まれた。明治7(1874)年,興譲館(米沢藩校)へ入学し,同12(79)年,選抜貸費生として上京,慶応義塾で学ぶ。帰郷後,米 ...

やまぐち・ただじ(1905~87)  山口唯次は,明治38(1905)年6月12日,山口要作の子に生まれた。大正13(1924)年,名古屋市立第二商業学校を卒業し,昭和9(1934)年,山口毛織を創設,同21(46)年,山口毛織株式会社取締役社長となった。昭和35(1960)年,日本毛織物工 ...

やまぐち・けいいちろう(1921~91)  山口恵一郎は,大正10(1921)年1月18日,豊橋市西新町に生まれた。昭和17(1942)年,法政大学高等師範部歴史地理科を卒業し,建設省国土地理院地図部研究員を経て,日本地図センター地図相談室長・参事役を歴任した。また,日本国際 ...

やべ・みつふさ(1885~1980)  矢部満房は,明治18(1885)年10月11日,福島県岩瀬郡白方村(岩瀬村)の矢部助重の2男として生まれた。明治42(1909)年,農林省東京蚕業講習所を卒業後蚕業技師として各地に勤務した。大正12(1923)年,愛知県技師に就任し,愛知県蚕業試 ...

やなぎもと・じょうせい(1879頃~1964)  柳本城西,本名満之助は,明治12(1879)年,渥美郡豊橋町関屋の元吉田藩弓術指南の家に生まれた。私立中学豊橋時習館に学び,医術開業試験に合格して,豊橋病院外科の医局員となった。明治36(1903)年,「無花果(いちじく)短歌会 ...

やざき・しげる(1868~1924)  矢崎茂は,明治元(1868)年12月29日,茨城県稲敷郡上之島村(茨城県稲敷郡東町上之島)の矢崎勘治の3男に生まれ,9歳の時千葉県長柄(ながら)郡茂原(もばら)村(茂原市)の同姓矢崎茂雄の養嗣子となった。 明治29(1896)年,東京大学医科大 ...

やぎ・いちろう(1901~90)  八木一郎は,明治34(1901)年7月23日,八木用作の長男として,渥美郡高師村藤並(豊橋市藤並町)で生まれた。大正12(1923)年3月,東京高等蚕糸学校を卒業し,東京府・愛知県・農林省・興亜院・大東亜省の農林技師に就任,昭和21(1946)年, ...

もりた・みつひろ(1825頃~98)  森田光尋は,渥美郡牟呂村(豊橋市牟呂町)の八幡宮神主森田光義の子に生まれた。弘化2(1845)年,平田篤胤(あつたね)門に入る。嘉永期(1848~54)から明治5(1872)年まで,寺子屋を開いた。嘉永2(1849)年から数年の間に,「万葉長歌 ...

もり・りょくすい(1917~99)  森緑翆,本名博は,大正6(1917)年10月5日,森暁紅の子として東京で生まれた。昭和5(1930)年,中村岳陵に日本画を師事して蒼野社に入門した。昭和10(1935)年,日本美術院展試作展に入選,同12(37)年,新文展に入選した。昭和18(1943 ...

もり・ぼうひつ(1888~1952)  森夢筆,本名彦一は,明治21(1888)年12月11日,西加茂郡猿投町(豊田市)に生まれた。明治44(1911)年,早稲田大学を卒業し,愛知県第四中学校に奉職したが,大正6(1917)年退職した。以後,渥美電鉄・中部電力・中央水力などに勤務した ...

もり・せいじろう(1921~2004)  森清治郎は,大正10(1921)年1月1日,渥美郡牟呂吉田村神野新田三号(豊橋市神野新田町)の森清一の長男として生まれた。昭和13(1938)年,豊橋中学校を卒業し,川端画学校に通いデッサンを学ぶ。昭和14(1939)年,東京美術学校図画師範 ...

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もり・ぎょうすけ(1825~98)  森暁助は,文政8(1825)年11月20日,渥美郡越戸村(田原市越戸町)の農業孫兵衛の2男に生まれた。吉田(豊橋)の鍛冶屋に奉公したが,天保8(1837)年12歳の時,吉田藩神道無念流師範亀井六五左衛門の弟子となった。天保12(1841)年,江戸 ...

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