あくみむら 飽海の地名は,飽海河の渡しとして「類聚三代格」(承和2年)太政官符に現われる。「和名類聚鈔」(承平年間)の渥美郡6郷中の渥美であるとの説もある。しかし,伊勢神宮領の「本神戸廿戸号渥美神戸,新神戸十戸号飽海神戸,新加神戸十戸」の記述などから,渥美 ...
飽海の渡し とは(豊橋百科事典より)
あくみのわたし 豊川(とよがわ)の河口は飽海河の渡しとして,極めて早い時代から渡船が設けられていた。交通量の増加によって,渡船が増加された。承和2(835)年の太政官府に「三河国飽海矢作雨河各四艘(そう),元各二艘,今加各二艘」とある。そのころ,現在の豊橋は飽海 ...
「飽海人形浄瑠璃」(豊橋市指定文化財) とは(豊橋百科事典より)
あくみにんぎょうじょうるり 「飽海人形浄瑠璃」(吉田文楽保存会)は,平成2年(1990)年3月26日,豊橋市無形民俗文化財に指定された。 吉田文楽は,古くは「飽海人形浄瑠璃」と呼ばれ,豊橋市飽海町に伝わる伝統芸能である。慶長年間(1596~1615),傀儡(くぐつ)人形を ...
安久美神戸神明社(豊橋市八町通三丁目) とは(豊橋百科事典より)
あくみかんべしんめいしゃ 天慶3(940)年,平将門の乱が平定されたので,朱雀天皇により伊勢神宮へ安久美郷を神領として寄進された(三河国新神戸)。社伝によれば安久美神戸神明社は,この時,大宮司頼基の庶流藤原基守は磯部・河野・清水らを伴い神戸の司となり,この地 ...
飽海遺跡(豊橋市今橋町) とは(豊橋百科事典より)
あくみいせき 飽海遺跡は,豊橋公園(豊橋市今橋町)を中心におよそ東西1㎞,南北500mの範囲に広がる弥生時代から中世にかけての大規模な遺跡である。大部分は中世~近世の吉田(豊橋)城址と重なっており,吉田城の発掘調査に伴い調査が行われているが,遺跡の詳しい内容 ...
秋山助六郎 とは(豊橋百科事典より)
あきやま・すけろくろう(?~1904) 歩兵第18聯隊(豊橋)第8中隊長秋山大尉は,明治37(1904)年8月31日,日露戦争の遼陽での首山保争奪戦で,突撃を前にして,遺書をしたためた。助六郎ハ余カ長男今茲甲辰征露ノ役戦死ス行年三十六其最後決死ノ際寄スル所ノ書左ノ如シ八 ...
秋葉神社(豊橋市駅前大通一丁目) とは(豊橋百科事典より)
あきばじんじゃ 秋葉神社は,遠州秋葉山の秋葉神社を勧請して,火防の守護神として各町内や枝郷などに軒神様として祀られたものである。西宿の秋葉神社の創建の由来は明らかでないが,元禄10(1697)年の棟札があり,秋葉神社・猿田彦社・鶴神社が祀られた。しかし,大正7 ...
秋葉信仰 とは(豊橋百科事典より)
あきばしんこう 秋葉信仰は,秋葉山(静岡県周智郡春野町)に三尺坊が火伏(ひぶせ)の神として祀られたことに由来する。江戸時代中期から各地に秋葉神社が勧請され,天保期には吉田(豊橋)にも多くの秋葉講が組織され,火防守護のお札を受ける代参が行われた。町裏には軒神 ...
秋葉山常夜燈 とは(豊橋百科事典より)
あきばさんじょうやとう 火防の神として秋葉山三尺坊(静岡県周智郡春野町)が人々から信仰を集めた。秋葉山常夜燈は江戸時代中ごろから数多く建てられるようになったが,市内では寛政年間(1789~1801)ごろから建て始められ,文化・文政と時代を経るごとにその数は増加し ...
「秋の野草」(鈴木梁満(やなまろ)) とは(豊橋百科事典より)
あきののぐさ 「秋の野草」(写本,半紙本1冊,墨付13丁)は,鈴木梁満の家集で,春夏秋冬恋雑と長歌2首の計96首を収める。序跋(じょばつ)もないが,鈴木梁満の孫の美濃守重実が歌稿の「秋の野草」より選び出し書写し,羽田八幡宮文庫へ奉納したものといわれている。豊橋 ...
アキアカネ とは(豊橋百科事典より)
あきあかね アキアカネは,トンボ科の中のアカネ属を代表する種で,通称アカトンボと呼ばれている。アキアカネは,日本全土で見られる。愛知県内にはアカネの仲間が13種いる。幼虫は池や沼,水田などに広く生息し,7月ごろより羽化が始まる。羽化したばかりの未熟な個体は ...
アカマツ とは(豊橋百科事典より)
あかまつ アカマツ(マツ科)は,豊橋地方の山野にもっとも一般的に自生するマツである。陽樹であり,裸地に雑草が侵入しススキなどが生えてくるころに,風で散布されたアカマツの種子が発芽し,最初の林をつくっていく。アカマツを中心にコナラやアカメガシワなど他の陽樹 ...
アカトンボ とは(豊橋百科事典より)
⇒ アキアカネ - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://naga ...
赤沢村 とは(豊橋百科事典より)
あかさわむら 渥美郡赤沢村は,江戸幕府成立時は幕府領であったが,天和元(1681)年,鳥羽藩領となり,享保10(1725)年,幕府領に復し,幕末を迎えた。村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に281石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に,中泉支配所356石余とある。明治 ...
赤沢神社(豊橋市東赤沢町東横根) とは(豊橋百科事典より)
あかさわじんじゃ 東赤沢の大橋・石田の両氏は牛頭(ごず)天王を守護神とする一族であったので,慶長の検地以降,その守護神を東赤沢村の氏神としたものとされる。明治5(1872)年,素盞嗚(すさのお)神社,昭和10(1935)年,赤沢神社と改称した。 - - 豊橋市議の長坂で ...
アカガシ とは(豊橋百科事典より)
あかがし アカガシ(ブナ科)は,常緑広葉樹で,高木になる照葉樹である。葉は厚く,表面は濃緑色でつやがあり,葉の大きさは10㎝以上で,縁に鋸歯(きょし)はない。幹は黒く,樹皮が厚く大きくはがれることがあり,どんぐりがなる。 豊橋の東部丘陵の尾根部には,わずかに ...
アカウミガメ とは(豊橋百科事典より)
あかうみがめ アカウミガメ(ウミガメ科)は,体長(甲羅の長さ)は約0.9m,色は赤褐色である。日本各地の砂浜に上陸して産卵する。産卵時期は5月から8月で,1回に100~120個の卵を産む。孵化(ふか)した子ガメは8,9月の夜間に海へ戻っていく。10数年後には親ガメになって ...
赤岩村 とは(豊橋百科事典より)
あかいわむら 赤岩の地名は,岩石が赤く見えるためといわれる。八名郡赤岩村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に18石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分25石余,赤岩寺(せきがんじ)領50石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数3,人数12で ...
赤岩寺 とは(豊橋百科事典より)
⇒ 赤岩寺(豊橋市多米町赤岩山) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと ...
赤岩山緑地(豊橋市多米(ため)町赤岩山) とは(豊橋百科事典より)
あかいわさんりょくち 赤岩山緑地は,市の東部に位置し,豊橋市多米町赤岩山に昭和27(1952)年3月に開設された。約123.8haの赤岩寺境内周辺を公園化した。山頂には展望台があり,春のサクラ・秋のモミジはともに名高く,行楽地として多くの市民が訪れている。 赤岩山の由 ...