豊橋市議の長坂です。
戦没者追悼式がしめやかに行われました。
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別に、6月20日には「豊橋空襲を語り継ぐ会」による灯籠流しもあります。

さて、どなたかの式典ご挨拶にて、
「戦後生まれが人口の8割となり、戦争の悲惨さを語り継ぐ難しさ」
旨のご発言がありました。

まさに豊橋市でも、それが露呈するような愚行が行われようとしています。



新アリーナを何としても豊橋公園に整備するという浅井市長の翻意から、
とうとう豊橋球場を津波リスクの高い沿岸部に移設してまで、
新アリーナの敷地を確保するという話は、報じられている通りです。

しかしながら、この豊橋球場は豊橋百科事典に次のように記されています。
豊橋球場は,旧歩兵18聯隊練兵場跡に造成中の豊橋公園内に,昭和23(1948)年8月,完成して開場した。戦災復興事業の施設第1号で,工事費は840万円であった。焼野原となった市街地には膨大な瓦礫(がれき)がまだ堆積していた。豊橋市では瓦礫処分地として旧吉田城の空壕と,野球場のスタンド盛土に搬入した
http://nagasakanaoto.blog.jp/豊橋球場(豊橋市今橋町).html
豊橋空襲の被災者にはご存命の方も、ご遺族もいらっしゃいます。

「瓦礫(がれき)」と言っても、当事者からは生活の記憶や思い出であり、
豊橋市としても市史を振り返るのに、重要な史料・記録でもあるはずです。
また、お骨が埋まっている可能性も踏まえての、丁寧な作業が必要なはずです。

しかしながら、豊橋球場の解体撤去費用として、豊橋市が算出したものは、
そのような豊橋の街や球場の経緯が考慮されていないものでした。

戦災瓦礫の話は、豊橋百科辞典という市の刊行物に載っていることなので、
「知らなかった」では済まされず、少なくとも外形的には、
知った上で、考慮・配慮を怠っていたと捉えるべき事案です。



6月9日の市議会で、鈴木(みさ子)委員、長坂もこの件を質しました。

(当該質疑)
鈴木委員:2:54:00頃より
https://www.youtube.com/live/1v_ix3TW3V0?feature=share&t=10440 
長坂:6:48:30頃より(休憩後の再開は 6:52:00頃)
https://www.youtube.com/live/1v_ix3TW3V0?feature=share&t=24510 

市の答弁は、
  • 文化財保護の対象外である(長坂解釈:だから特別な対応はしなくてよい)
  • (翻って)御遺骨の可能性は否定できない、関係部局と連携し適切に対応する。
とのことで、具体的にどのように「適切に」対応されるのかの言及はありませんでしたが、
事業者の募集を始める前に、どのような対応をし、どのくらいお金と期間が掛かるのかを、
併せて示す必要があると思います。

長坂の気持ちとしては、百万歩譲って、仮に球場を廃止することがあろうとも、
今、新アリーナのために、豊橋空襲が眠る盛土を掘り起こすのは愚、と思われます。

では。 

(ご参考)
新アリーナに関する、市議会(委員会)資料は下記にて公開されています。

> 総務委員会 ><令和5年6月9日>(総務・建設消防委員会連合審査会)
https://www.city.toyohashi.lg.jp/40673.htm