豊橋市議の長坂です。
長い間、本当にお疲れさまでした。

さて、本日(3/6)の豊橋市議会のまちフォーラム代表質問にて、
芳賀ひろたか市議が「区切りをつける」旨の御言葉にて、ご勇退を表明されました。
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(2019年の選挙公報より)

芳賀ひろたか市議はご近所で、市議になられる前から、
私が子どもの頃から、知っている方です。

具体的な記憶としては、夏休みのラジオ体操で、
前で「手本」として体操をされていたのが「ひろたかさん」であり、
お子さんは地元小中の少し後輩で全員小さい頃から知っていますし、
お父様にはソフトボールの指導者として、お世話になりました。

うちの親も「ひろたかさんの悪口を聞いたことがない」
というくらい人格者で、人望篤い方です。



そんな「ひろたかさん」が初めて市議選に挑戦されたのが20年前、
私は東京で大学1年生から2年生になる春でした。

よく知った「ご近所」であったので、
当時はうちの親も選挙を手伝ったと聞いています。

そして、私も東京にいながら、当時はまだ細い通信回線で、
深夜に何度もパソコンの「F5(更新ボタン)」を押して、
陰ながら、選挙結果を見守りました。

私にとって、直接知っている人が選挙に出た初めての経験で、
「地方議員」という仕事が、社会の教科書に載っている用語から、
リアルな存在として意識するきっかけになった出来事です。

そういう意味で、私は当時まだ被選挙権はもちろん、
選挙権もない未成年の学生であったにも関わらず、
「地方議員」を仕事の1つとして頭に入れ、
12年後、私自身も立候補する遠因の1つとなりました。



話を20年前の選挙に戻します。
その選挙で「ひろたかさん」は2位で当選されました。

何も知らなかった未成年の僕は、
「すごい!ひろたかさん、2位!」と無邪気に喜び、
心の中で、選挙に対する気持ちのハードルが低く設定されてしまったのも事実です。
(それ故その後、僕がとてもとても苦労したのは、多くの方がご存知の通りです)

無知とはおそろしいものです。
労働組合とかそういう組織選挙の存在、その力の強さを知りませんでした。

芳賀議員の後援会会長は、市議20年、議長も務めた直系の先輩で、
今は校区自治会長もされています。

市議として、後から出てきたのは私であり、そういうこともあって、
地元で目立つ活動をためらわれる気持ちもありました。

しかしながら、これで遠慮も必要なくなりました。

これまでの芳賀議員の御尽力に対する感謝の気持ちを持ちながら、
引き続き、しっかりと活動して参ります。

改めて、芳賀議員、ひろたかさん、
20年という長い間、市政の発展、
地域のために御尽力・御活躍くださり、
本当にありがとうございます。

では!