豊橋市議の長坂です。
地名というのは土地の記憶、です。
(byブラタモリ・タモリさん)

さて、先のブログを書くとき、
こちらの本もパラパラ読みました。
君はるか 古関裕而と金子の恋
古関 正裕
集英社インターナショナル
2020-02-26

著者の「古関正裕」さんは、古関裕而さん・金子さんのご子息です。

この著作に、興味深い記述が。
「だって『竹取物語』だよ。私はかぐや姫だから、何か縁があると思わない?」

 金子は小学校の学芸会でかぐや姫を演じて好評を博したことがあり、かぐや姫という綽名(あだな)がついたこともある。(君はるかp31-32より)
驚きました。
NHK方々「ベタな演出」とか思って、ごめんなさい。
まさか実話※だったとは。

※「君はるか」には、「この物語は実話に基づいたフィクションである。」とあります。そのため、どこまでが実話か正確にはわかりません。

そこでドラマと、実話を比べてみました。
  1. 金子さんの小学校はどこ?
  2. 金子さんのご住所はどこ?
  3. 手紙の「ハートマーク」は本当?
  4. 歌詞カードの手紙は本当?
  5. 裕而さんは銀行に住んでた?
  6. 金子さんのお父様のお仕事は?
  7. 曲は本当に「竹取物語」?
情報源は、この本「君はるか」に併せて、豊橋市図書館での「内山金子とその時代展」のために、いろいろ調べられた、副図書館長の岩瀬さんにお聞きしたことや展示パネルからです。
豊橋市中央図書館で内山金子展とエール展|東愛知新聞
http://www.higashiaichi.co.jp/news/detail/6154


まず学芸会をした小学校について。

先のブログのように、ドラマで関内音さんの住所は「豊橋市小池町柳戸2-3」です。
この「柳戸」にちなんでか、ドラマの小学校は「柳戸尋常小学校」です。

実際に、金子さんが卒業したのは「福岡尋常小学校(現 福岡小学校)」。
豊橋市内でも、かなり歴史長い方の小学校です。
展示では、卒業証書もありました(よくこれまで保存を...すごい)

但し、当時の場所は、現在地(豊橋市橋良町平野1−1)ではなく、橋良町字東郷。
愛知大学の交差点(高師口交差点)から、坂を下った辺りです。



この小学校から1キロほど離れていた「小池」に金子さんも住まわれていました。

本「君はるか」では、手紙を受け取った裕而さんの台詞として、
差出人の名前は内山金子。住所は愛知県豊橋市外小池とある。豊橋市のすぐ近くということだろう。(p57より)
「豊橋市のすぐ近くということだろう」という記述から、これは「豊橋市|外小池」でなく「豊橋市外|小池」と読めます(豊橋市に「外小池」という地名もなさそうです)。

巻末の「略年譜」には、次のように記載あります。
明治四十五年(1912)
三月六日、愛知県渥美郡高師村(現在の愛知県豊橋市小池町)にて父内山安蔵、母みつの三女として生れる。(p266より)
そう、当時「小池」は高師村の一部でした。

豊橋百科事典(下記URL)等によると、
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/Home/2320105100/topg/jiten/jiten_0.html
金子さんが生まれた高師村は、明治39年(1906年)に、(旧)高師村、福岡村、大崎村、植田村、野依村、磯辺村が合併して出来ました。

金子さんが卒業した小学校が、福岡尋常小学校であるように、「小池」は合併前、福岡村にありました。

その26年後、昭和7年(1932年)に、高師村は豊橋市と合併しました。

先ほどの「略年譜」によると、金子さんと裕而さんの文通が始まったのは、昭和5年(1930年)ということ。つまり、手紙の差出人住所は、まだ「高師村」です。

時系列にすると、
1906年(明治39年):(新)高師村誕生
1912年(明治45年):金子さん誕生
1930年(昭和5年):文通開始
1932年(昭和7年):高師村、豊橋市に合併

しかし差出人住所には「高師村」と書かず、「豊橋市(外)」と書いた当時18歳ほどの金子さん。
明確な理由はわかりませんが、若人の色々な思いが察せられます。



そんなお二人のラブラブな手紙たち
戦前にこんなハートマークなんて、と驚いていました。

しかし、実際にも・・・(リンク先に手紙の写真)
https://smart-flash.jp/entame/98381/image/1(Smart FLASH)
https://www.minyu-net.com/serial/koseki/FM20190816-406471.php(福島民友新聞)

上記は2つとも、裕而さんが書かれた手紙ですが、金子さんが書かれた手紙も相応で(休館前に、図書館の企画展で見ました)。
朝ドラで、裕而さんがモデルの裕一さんが、絶賛していた「君はるか」の歌詞カード(?)に書かれた手紙。
これと同様の手紙(写し)も展示されていました(実際は、もっと文字がびっしり)。

ただ、副図書館長の岩瀬さんのお話を聞くと、ハートマークなどいわゆる「ラブラブ」な手紙を先に送ったのは、どうも裕而さんの方でないかと。

余談ですが、裕一さん(ドラマ)への宛先住所、
ツイッターの画像では「福島縣川俣町 川俣銀行内」となっています。

前述のSmart FLASHさんの画像も
「福島県川俣町 川俣銀行内」と記載あり、本当に銀行にお住まいだったのですね。

そして、ペンネームの「裕而」でなく、本名の「勇治」となっており、二人の近さが感じられます。

これらの手紙は多くの市民方々にもっと見ていただきたいです、ほんわかします。
図書館が再開するまで、展示が延期されていると良いです。

(追記)
図書館の再開と、企画展の延期が決まりました!
5 イベント等の開催について
 当面の間、市等が主催する集客イベントは中止としますが、中断していた企画展示は再開します。
 〇「内山金子とその時代展」(中央図書館2階展示コーナーにて・6月23日まで)
http://www.library.toyohashi.aichi.jp/index.php?key=jo7y5awl3-379 
(追記おわり)



続いて、金子さんのお父様について。
ドラマでは、実家は軍に収める馬具店であり、冒頭に事故で急逝してしまします。

本「君はるか」では、裕而さんへの手紙の中で、次のように記されています。
父は獣医でしたが私が十二のときに他界しました。(p62)
図書館のパネルではより詳しい記述が。
【父・安蔵】
 安蔵は、かつて陸軍の獣医部に勤めていました。(略)安蔵が所属していた部隊および階級はわかっていません。安蔵は、明治37(1904)年から始まった日露戦争に従軍し、中国の満州地方で戦っていたそうで、額には弾丸の傷痕がありました。(略)

 陸軍では階級によって定年年齢は異なりますが、安蔵は定年により軍隊を除隊しています。除隊後は豊橋に住み着き、馬の蹄鉄をつくる工場を始め、馬糧商(馬のエサなどのを手広くあつかう御用商人)となって、第十五師団の騎兵聯隊(長坂注:当時の高師にあった陸軍の部隊)などへ納入していました。従業員も多く雇い、商売は繁盛していたそうです。
【突然の父・安蔵の死】
 高等女学校入学(長坂注:豊橋市立高等女学校(現 豊橋東高等学校))の前後に、父が突然脳出血で亡くなり、内山家は失意のどん底に落とされました。しかし、母・みつは気丈な人だったので、馬蹄工場を閉めて家業を縮小し、馬糧商のみを引き継ぎ、家族を養いました。
馬具店と馬蹄工場、事故と脳出血という違いはありますが、概ね実話のようです。
ドラマで父が亡くなった頃に、いやな感じを醸していた、豊橋出身の平田満さん演じる「打越金助」。

このシーンの背景は、当時実際に「陸軍第15師団長官舎」として建設された、現「愛知大学公館」と思われます。
NHK連続テレビ小説『エール』にて愛知大学公館で撮影されたシーンが放送されました|愛知大学
http://www.aichi-u.ac.jp/news/38471 
ちなみに「打越金助」に様子が似た「丸山さん」という人物が、本「君はるか」にも登場しています。



最後、一番の「謎」です。

古関裕而さんが、入賞した曲は「竹取物語」となっています。
しかし、当時の新聞の見出しは、次のようになっています。
英国で当選した わが天才作曲家
竹取の翁」で二等に 渡英せよと旅費まで届く

(名古屋新聞 1930.01.23)※長坂注:旧字を新字に変換しています。
そう「竹取物語」でなく、「竹取の翁」です。
裕而さんの地元、福島の新聞見出しも「応募曲は『竹取の翁』」と。

本「君はるか」には、金子さんの台詞として、次のように記されています。
『竹取物語』をテーマにした舞踏組曲で第二席に入賞だって。(p31より)
残念ながら、この曲の楽譜は、現在みつかっていないそうです。
「幻の名曲」を追って、こんな本も出ています。
古関裕而 1929/30
ギボンズ 京子
近代文藝社
2014-04-30

いつかどこかで発見されて、聞けることを楽しみにしています。

では!