豊橋市議の長坂です。
今日は特にまじめな話です。

そういうときはたまに訪れます。
選挙とか印象とかを置いても、これは書かなきゃいけない、
と思うので書きます。

国会議員、丸山穂高氏の不適切発言に対して、与党である自民・公明を含み「糾弾決議案」を提出。
それに対し、自民党の小泉進次郎氏は採決を「棄権」しました。
こんばんは。小泉進次郎です。 

既に切り取られる形で報道されていますが、今日の衆議院本会議で全会一致で可決された丸山穂高議員に対する「糾弾決議」に私は乗りませんでした。以下は本会議の後、メディアのぶら下がり取材で私の考えを説明した内容です。 

今回の行動の結果、党からは厳重注意という処分がありましたが、なぜ私が全会一致の「糾弾決議」に乗らなかったのか、伝われば幸いです。

 - 小泉進次郎『【取材全文】衆議院本会議「丸山議員の糾弾決議」への対応について』
案の定、小泉さんには自民党から処分が下りました。


ときを同じくして、前豊橋市議で、先日、愛知県議になった自民党の中村竜彦さんもブログを更新されました。
私は丸山氏の言動について弁護をする気は全く無い。ただ、本件はこの丸山氏が良いヤツか悪いヤツか、あるいはけしかるか、けしからぬかという問題ではなく、この国のルールとして法を犯していない国会議員が発言内容や不品行を理由に衆議院から全会一致(小泉進次郎氏は欠席したらしい)で糾弾決議を受けるというのはいささか問題があるように思う、(略)

戦争を禁じる日本国憲法の時代に「戦争でこの島を取り返すことに賛成か」「戦争しないとどうしようもなくないか」との発言が“信じ難い暴言”だとして糾弾されることと、軍国主義であった時代に「戦争をやめたほうがいいのでは」との発言が“信じがたい暴言”だと糾弾されていたことは、その本質は同じファシズム=全体主義である。(略)

なぜファシズム=全体主義か。思うに選挙が近づいていることによって報道や国民感情などの空気はより党利党略的に重視されているからではないだろうか。

維新には問題児とレッテルを張られた丸山議員との決別を鮮明にしてダメージを抑えたい思惑、その他の野党には戦争反対のイメージ戦略、与党にはあまり本質論にこだわって否決でもしようものなら丸山氏をかばっているという新たな批判の標的にされかねないリスク回避の意識があるのだろうが、それら参院選を目前に控えた党利党略の産物としてこのような糾弾決議と言う前例を作ってしまったのは極めて残念である。

本質を見失って空気感で全体主義に走り、戦争へ突き進んだ過去の反省が全くなされていない。

 - 丸山代議士への糾弾決議と日本国憲法の精神
 http://www.tatsuhiko.jp/diary/1341 
正直、県議になった初のブログ更新が、県政や市政でなく、これか!?、とも思いました。

しかし、党の方針に対して、堂々と異を唱える中村さんを見て、応援してよかった、間違いなかった、とある意味で安心しました。



丸山議員の素行や言動が「議員失格」もの、であるのはその通りです。
「イクメン」議員のように、早々にやめるべきという意見にも賛成です。

しかし、ぼくは(ぼくも)今回の件は、1議員の出処進退をはるかに大きく超えた、
まずさと危機感、そして「こわさ」を感じています。



自分がこの立場になって、とてもよく実感したことがあります。
それは、僕たちの売り物・商品は、堅く言えば思想・信条。
つまり、自分の気持ちや考え方、それに基づく言動や姿勢です。

それが一番の「商品」だからこそ、それらの「表現」が最も制限される仕事であるとも痛感しました。
特に、政党に所属する議員は「個人的な意見」はさておき、党の方針に従わなければなりません。

だから逆に「表現の自由」は、最も保障されなくてはなりません。
個々の政党ならまだしも、国権の最高機関たる国会や、国家権力が、法律を超えて、一議員の表現を制限したり、罰するということは、最もしてはいけないことです。



はじめて立候補するときに、びっくりしたことがあります。
それは「選挙ポスター」には「何を書くのも自由」ということです。

サイズの規定や、書かないといけないこと(掲示責任者や印刷責任者)はありますが、
それ以外は、何を書いても自由、ということでした。

極端な話「長坂なおと」と書かずに、他の人の名前や顔写真を載せてもOK。
(「長坂なおと」と書いて、他人の顔を大きく載せるなど、事実誤認を招く表現はNG)

「なんだ、この選挙ポスター」

というポスターを、多くの方が見たことがあるかと存じますが、
それでも、そこでどんな主張をすることも、尊重されています。



今回のケースと似た事例が、豊橋のおとなり新城市でありました。
愛知県新城市の長田共永市議(49)=無所属=が少子化対策として「穴の開いたコンドームを配っては」と市議会で発言した問題で、全員協議会を開催。浅尾洋平市議(37)=共産=がブログで長田氏の発言を取り上げたことを「議会軽視だ」と問題視し、今後、議会の情報発信を制限するルールを作ると決めた。
不適切発言をした議員でなく、その不適切発言をブログに書いた市議が問題視されるという事態に。
しかも、その発言は、市議会というこれ以上にない公の場、での発言にも関わらず。

そして「情報発信を制限するルール」をつくる、と。

結局、賢明な新城市議会は、社会の動きを察したのか「情報発信を制限するルール」をつくるのはやめました。



しかし、今回国会は、一議員の発言に対し「糾弾決議」を可決しました。
しかも全会一致で。

これは、本当にわるい前例をつくりました。

今後は、様々な不適切発言に対して、空気に忖度して、同様の決議が提案・可決できます。
そしてこれは、議員の発言を萎縮させ、
言論の府である国会と国会議員の言論機能を低下させるでしょう。

まず、野党に対して、必ず「ブーメラン」として帰ってきます。
例えば「◯◯死ね」などという発言やそのようなプレートを掲げての行進は、
憲法が保障する基本的人権に反する表現に他なりません。

ぼくは本当にこわい。

ありがたいことに、ぼくはまだ豊橋市議会からブログでの発信について制限されたことはありません。
しかし、今後いつそのような決議がされるか、わかりません。
それは新城市議会のようなパターンでされるかもしれません。



勝手な邪推ですが、今回「全会一致」でなく、もし野党が反対していたら、
小泉進次郎さんは「たったひとり」での棄権をしなかったのでは。

しかし野党は、その前に「糾弾決議案」より重い、
「議員辞職勧告決議案」を提出しているため、反対できる理由がない。

本来であれば、野党やその周りの「リベラル」な言論人やメディアが、
国権による表現の自由への侵害として、異論を唱えるような内容だった、
と僕は認識しています。でも、その声も聞こえなかった。

もちろん、全ての国会議員(衆議院)も、全会一致で賛成したため、これから異論を唱えない。
当事者である丸山氏と、小泉進次郎さんを除いて。

ぼくは本当に、今回の小泉さんの判断は「国会に最後に残った良識の一欠片」とまで思っています。

そして、今回、ぼくの小さな小さな声ではあるけれども、
それでも書かないといけないと思ったのは、少しでもこの声を大きくしないといけないからです。

選挙を目前に控えた参議院議員は何も言わない。
同日解散があるかもしれない衆議院議員も同じ。

だったら、地方議員がなんとか言わないと。

「言わないと、言わないと」と思っている中、
最後のひと押しをしてくれたのは、中村県議のブログでした。



丸山氏に対する多くの方の怒り、議員を続けることへの大きな不満、はわかります。

しかし、今回の「糾弾決議案」の可決(しかも全会一致)は、
それとは一線を画して、慎重に見るべき事案であったと、考えます。

もう既に「糾弾決議案」は可決されてしまいましたが、
今からでもこの「糾弾決議」を、「あしき前例」として評価しておかないと、
待っているのは、本当に本当に暗い暗い未来であると、ぼくは思います。

では。