豊橋市議の長坂です。
お盆も市役所は通常営業です。
さて、お盆ということもあり、いつもよりいろんな人に会った1週間。
まだ頭もまとまってなく、とりとめなくダラダラと書いてしまうことをお許しください。
■
「もう育児とかしないよね。仕事の方が楽しいし」
誰が言ったか忘れたけれど、この1週間に聞いた中で、もっとも衝撃的な言葉。
そして、少なくともある側面では、真を得ている言葉。
折しも「ぱぱとままになるまえに」というNPO代表をしている知人もネットで「育児ツライ!」と声を上げた。
という時代は、高度経済成長と人口増加(このあたり「鶏と卵」ですが)と相まって、成功モデルであったのは事実と思います。
しかし、世は男女共同参画時代。
全ての人の両手に「仕事」と「育児」があります。
一部のスーパーマン/ウーマンが「シゴトトイクジノリョウリツ」を実現をされていますが、
男女雇用機会均等法から30年余、男女共同参画社会基本法から20年を迎えるに至っても、
「社会が、仕事と育児を両立する」新しいモデルは実装できておらず、
非婚や子なしを含め「仕事か育児か」の傾向がより強まっているように感じます。
■
話が飛びます。
この共著者の菊池さんと、最近話題のこちらのお店で飲んできました。
「長坂さん、土地が全部、誰のものでもなかったらよいと思いませんかー?」
-え、なんで?
「そしたら、このままここに寝て行けるじゃないですかぁ。いつも思うんですよね」
はっ、としました。
最初は(なんだいきなり、ジョンレノンか?)と思いました。
「ここで寝たい」⇒「土地が誰のものでもなければよい」
の発想は、学園祭で「宇宙は黒いんだ教」と言っていたままの菊池さんでした。
逆に、何かと既存のルールや、社会の慣習など、固定観念に縛られてばかりになってしまった自分に気付かされました。
「全ての土地に所有者がある」とか、
「親には子の扶養義務がある」とか。
■
そして翌日、漫画家の江川達也さんのご自宅兼仕事場へ。
主に地図や高低差の話をしていたのですが、帰りにふとひとつの劇画資料が眼に。
江川さんから影響を受けた作品は、初めて読んだ漫画である「まじかる タルるートくん」や「東京大学物語」、古文がちょっと好きになった「源氏物語(漫画)」などがありますが、本書「家畜人ヤプー(漫画)」もそのひとつ。
先が知りたくて知りたくて、原作小説を大学のテスト期間中に読み漁ってしまったほど。
日本人(黄色人種)が家畜化され、男女の役割が逆転した女権主義となった未来世界を描くSF小説。1950年代に発表。下記の通り、設定がぶっとんでいます。
もちろん、男女雇用機会均等法も、男女共同参画社会基本法もこれからの時代です。
当時はSF小説、として読んでいました。
しかし、学生時代から10年以上経ち振り返ると、ある側面ではこのSF小説の世界に1万分の1くらい近づいているのではと思ったり、思わなかったり。
うろ覚えですが、この小説世界では「子育て」はありませんでした。
良い言い方をすれば、子育てを担うのは「個人」でなく「社会」(であった気が)
「出産から解放」され、子育てからも解放された世界。
■
今、国をあげて、出生率の向上が目指されています。
他方、「子は親が育てる」という規範は、おそらく世界共通でしょうし、
子どもの権利向上と表裏一体に、親の責任はますます強まっているように感じます。
「子どもは親(家庭)が育てる」から、
「子どもは社会が育てる(ガチで。親に扶養義務なし)」くらいのドラスティックな変化がないと、
出生率2.07なんて、とてもとても目標達成できないんじゃないか。
少し浮世離れした時季・お盆だからか、そんなことを考えてしまいました。
では!
お盆も市役所は通常営業です。
さて、お盆ということもあり、いつもよりいろんな人に会った1週間。
まだ頭もまとまってなく、とりとめなくダラダラと書いてしまうことをお許しください。
■
「もう育児とかしないよね。仕事の方が楽しいし」
誰が言ったか忘れたけれど、この1週間に聞いた中で、もっとも衝撃的な言葉。
そして、少なくともある側面では、真を得ている言葉。
折しも「ぱぱとままになるまえに」というNPO代表をしている知人もネットで「育児ツライ!」と声を上げた。
「育児ツライ!」…と言ってみようと思います。|西出博美 @pirominco|note
SNS上とかで、(わたしの個人的な印象ですが)「育児ツライ!」と言っている人ってあんまり見かけない(…気がするのです)。で、わたしは、最近育児ツラかったんですが、この「ツライ!」という気持ちをどこにどうしたらいいかわからなくて。(略)
ツラさのきっかけは、子の体調不良。しかも7月末からずっとつづく不調は、母子べったり故にわたしにもうつり、「体調不良児×体調不良母=育児ツライ!」という、わかりやすく計算とおりだった。(略)大人だって、仕事をしている人がほとんどで、そんな人たちにもうつすことはできず、みるみるうちに孤立した。「誰かのためならがんばれる」わたしは、そう思っていた。そんなときがあった。…勘違いだった。誰か(=子ども)のためにがんばれなかった。
「かけがえのない」「素敵な」「崇高な」ものである育児は、だんだんとベールがはがされ、「本音」で語られる機会が多くなった(と感じるのは、ぼくの周りがそういう年齢になったからかもしれないけれど)。
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「男は仕事、女は育児」■
という時代は、高度経済成長と人口増加(このあたり「鶏と卵」ですが)と相まって、成功モデルであったのは事実と思います。
しかし、世は男女共同参画時代。
全ての人の両手に「仕事」と「育児」があります。
一部のスーパーマン/ウーマンが「シゴトトイクジノリョウリツ」を実現をされていますが、
男女雇用機会均等法から30年余、男女共同参画社会基本法から20年を迎えるに至っても、
「社会が、仕事と育児を両立する」新しいモデルは実装できておらず、
非婚や子なしを含め「仕事か育児か」の傾向がより強まっているように感じます。
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話が飛びます。
この共著者の菊池さんと、最近話題のこちらのお店で飲んできました。
デイリーポータルZ編集部@dailyportalzとてもいいお店で、だいーぶ飲んで駅まで歩いて帰るとき、菊池さんがこんなことを。[居酒屋業界初の「おすそ分けシステム」誕生秘話] https://t.co/hPgNblgmtX 300円払うとお酒の持ち込みが自由になり誰かの置いていったお酒も飲んでOK。生ビールが180円でそもそもなんもかもが安い謎の店が五反野に。 #DPZ
2017/10/24 12:30:03
「長坂さん、土地が全部、誰のものでもなかったらよいと思いませんかー?」
-え、なんで?
「そしたら、このままここに寝て行けるじゃないですかぁ。いつも思うんですよね」
はっ、としました。
最初は(なんだいきなり、ジョンレノンか?)と思いました。
「ここで寝たい」⇒「土地が誰のものでもなければよい」
の発想は、学園祭で「宇宙は黒いんだ教」と言っていたままの菊池さんでした。
逆に、何かと既存のルールや、社会の慣習など、固定観念に縛られてばかりになってしまった自分に気付かされました。
「全ての土地に所有者がある」とか、
「親には子の扶養義務がある」とか。
■
そして翌日、漫画家の江川達也さんのご自宅兼仕事場へ。
主に地図や高低差の話をしていたのですが、帰りにふとひとつの劇画資料が眼に。
江川さんから影響を受けた作品は、初めて読んだ漫画である「まじかる タルるートくん」や「東京大学物語」、古文がちょっと好きになった「源氏物語(漫画)」などがありますが、本書「家畜人ヤプー(漫画)」もそのひとつ。
先が知りたくて知りたくて、原作小説を大学のテスト期間中に読み漁ってしまったほど。
日本人(黄色人種)が家畜化され、男女の役割が逆転した女権主義となった未来世界を描くSF小説。1950年代に発表。下記の通り、設定がぶっとんでいます。
未来帝国EHS(The Empire of Hundred Suns イース = 百太陽帝国、またの名を大英宇宙帝国)は、白色人種(特にアングロ・サクソン系のイギリス人)の「人間」と、隷属する黒色人種の半人間「黒奴」と、旧日本人の家畜「ヤプー」(日本人以外の黄色人種は核兵器と細菌兵器によりほぼ絶滅している)の3色の厳然たる差別の帝国である(略)1950年代の作品で「代理出産」の概念が出てくるのにも凄みがあります。
EHSは「女権革命」以降、女が男を支配し、男女の役割が逆転した女権主義の帝国である。EHSの帝位は女系の女子により引き継がれ、平民でも結婚すると男性が女性の家に入り、その姓を名乗る。男性は私有財産を持つことすら禁止され、政治や軍事は女性のすることで、男性は化粧に何時間も費やし、学問や芸術に携わる(略)
そして、家畜である日本人「ヤプー」たちは家畜であるがゆえに、品種改良のための近親交配や、肉体改造などを受けており、「ヤプー」は知性ある動物・家畜として飼育され、(略)白人女性の出産も、受精卵の移植によって子宮畜(ヤプム)が代行する(略)
EHSの女権制は人間(白人)の女性に代わって出産をする子宮畜(ヤプム)の使用が普及してから、人間の女性が出産から解放された後に女権革命が発生して女権制が確立された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/家畜人ヤプー
もちろん、男女雇用機会均等法も、男女共同参画社会基本法もこれからの時代です。
当時はSF小説、として読んでいました。
しかし、学生時代から10年以上経ち振り返ると、ある側面ではこのSF小説の世界に1万分の1くらい近づいているのではと思ったり、思わなかったり。
うろ覚えですが、この小説世界では「子育て」はありませんでした。
良い言い方をすれば、子育てを担うのは「個人」でなく「社会」(であった気が)
「出産から解放」され、子育てからも解放された世界。
■
今、国をあげて、出生率の向上が目指されています。
他方、「子は親が育てる」という規範は、おそらく世界共通でしょうし、
子どもの権利向上と表裏一体に、親の責任はますます強まっているように感じます。
「子どもは親(家庭)が育てる」から、
「子どもは社会が育てる(ガチで。親に扶養義務なし)」くらいのドラスティックな変化がないと、
出生率2.07なんて、とてもとても目標達成できないんじゃないか。
少し浮世離れした時季・お盆だからか、そんなことを考えてしまいました。
では!