豊橋市議の長坂です。
失言こわいです。
さて、先日の報告会に参加してくれた友人が、
「魅力的な話し方をするようになりましたね!」
と、感想をくれました。
他方、身内からは「声が小さい」「まだ話すのが早い」
と、お決まりのダメ出しをいただいていたので、救われる気持ちでした。
■
市議会を含め、ありがたいことに人前でお話させていただく機会を度々いただき、
少しずつ、訓練、失敗、反省を積み重ねています。
「ゆっくり」「大きな声で」「わかりやすい言葉で」
などの基本(でも難しい)にも気をつけていますが、
最近、特に気をつけていることについて、記してみます。
■
その1.「例え」を使わない。
「例え」はとても便利なので、ぼくも多用していました。
恥ずかしながら「例え話がうまい」と思っていたこともあります。
しかし、例え話は一長一短であることに気付いてきました。
それは、わかりやすくすることができる一方で、
思わぬ誤解を生むリスクもあるということです。
例えば(「使わない」と言っている一方で、使わないと説明できないのが情けないですが)、
「豊橋は日本のデトロイト」
と言ったとします。
これは、豊橋がアメリカのデトロイトのように優れた工業都市であることを伝えたくて、使った言葉とします。
しかし一方、デトロイトを「荒廃した都市」というイメージを持っている人が聞いたら、
「豊橋は荒廃した町」だ、と捉えられてしまいます。
聞き手が、例えた先のことまで、必ずしも話し手と同じイメージを持っているとは限りません。
例え話を使わずに、わかりやすく話すことは難易度がひとつ高くなりますが、最近はこれに試行錯誤しています。
■
その2.「うまいこと」言おうとしない。
慣用句や四字熟語を部分的に変えるなど、「うまいこと言った」と自分が思っていても、だいたい通じていません。
それどころか、そもそも元となる慣用句や四字熟語すら共有できておらず、意図が正しく伝わっていなかったりもするので、やめた方がいいなと思いました。
■
その3.「笑い」を取ろうとしない。
「笑い」が取れると場が和むので、特に話の序盤では小さな笑いを取りに行きたくなります。
しかし、それなりの数の人の前で話すときに、
そこにいる全員を全く傷つけなかったり、不快にさせない「笑い」は、なかなかに難しいです。
そうではない「笑い」や「微笑ましさ」をうまくつくれそうにないときは、
無理に「笑い」を取りに行くのは、諦めました。
■
・・・などと、考えていると、そりゃ「政治家」と言われる人たちの話が、
「おもしろくない」ことが、なんとなくわかりはじめました。
とはいえ、このような制約を加えつつも、少しでもわかりやすく、
続きが聞きたくなる話ができるよう、これからも日々精進をしていきたいと思います。
では!
失言こわいです。
さて、先日の報告会に参加してくれた友人が、
「魅力的な話し方をするようになりましたね!」
と、感想をくれました。
他方、身内からは「声が小さい」「まだ話すのが早い」
と、お決まりのダメ出しをいただいていたので、救われる気持ちでした。
■
市議会を含め、ありがたいことに人前でお話させていただく機会を度々いただき、
少しずつ、訓練、失敗、反省を積み重ねています。
「ゆっくり」「大きな声で」「わかりやすい言葉で」
などの基本(でも難しい)にも気をつけていますが、
最近、特に気をつけていることについて、記してみます。
■
その1.「例え」を使わない。
「例え」はとても便利なので、ぼくも多用していました。
恥ずかしながら「例え話がうまい」と思っていたこともあります。
しかし、例え話は一長一短であることに気付いてきました。
それは、わかりやすくすることができる一方で、
思わぬ誤解を生むリスクもあるということです。
例えば(「使わない」と言っている一方で、使わないと説明できないのが情けないですが)、
「豊橋は日本のデトロイト」
と言ったとします。
これは、豊橋がアメリカのデトロイトのように優れた工業都市であることを伝えたくて、使った言葉とします。
しかし一方、デトロイトを「荒廃した都市」というイメージを持っている人が聞いたら、
「豊橋は荒廃した町」だ、と捉えられてしまいます。
聞き手が、例えた先のことまで、必ずしも話し手と同じイメージを持っているとは限りません。
例え話を使わずに、わかりやすく話すことは難易度がひとつ高くなりますが、最近はこれに試行錯誤しています。
■
その2.「うまいこと」言おうとしない。
慣用句や四字熟語を部分的に変えるなど、「うまいこと言った」と自分が思っていても、だいたい通じていません。
それどころか、そもそも元となる慣用句や四字熟語すら共有できておらず、意図が正しく伝わっていなかったりもするので、やめた方がいいなと思いました。
■
その3.「笑い」を取ろうとしない。
「笑い」が取れると場が和むので、特に話の序盤では小さな笑いを取りに行きたくなります。
しかし、それなりの数の人の前で話すときに、
そこにいる全員を全く傷つけなかったり、不快にさせない「笑い」は、なかなかに難しいです。
そうではない「笑い」や「微笑ましさ」をうまくつくれそうにないときは、
無理に「笑い」を取りに行くのは、諦めました。
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・・・などと、考えていると、そりゃ「政治家」と言われる人たちの話が、
「おもしろくない」ことが、なんとなくわかりはじめました。
とはいえ、このような制約を加えつつも、少しでもわかりやすく、
続きが聞きたくなる話ができるよう、これからも日々精進をしていきたいと思います。
では!