豊橋市議の長坂です。
「エルサゲート」こわいですね。
さて、友人でライターをしている小澤さんが、
地元・豊橋について、とっても素敵なエッセイを書いてくれました。
実は、ぼくは豊橋をきらいだと思ったことが一度もありません。
むしろ高校を卒業するまでは、上京するまでは好きだとも思ったこともありません。
つまりは、地元に無関心な高校生でした。
でも、地元をわるく言われたら嫌な気分になる。
それに気づいたのは上京してからで、外の人に言われたら嫌だ、というのに気がつきました。
今では、地元の人でも、地元をわるく言う人にはかなしい気持ちになります。
そして最近、こんなブログを書きました。
そういう感覚、習慣、メンタリティーが地方で楽しくくらすコツだとも思います。
それを「DIY精神」と書いたこともありました。
そして本日、日本を代表する「ものづくり」ベンチャーである、
WHILL社の代表・内藤淳平さん(豊橋市出身、というか同級生)が、
Uターン講演をしてくれました。

https://peraichi.com/landing_pages/view/sg20170203

恩師や同級生を含め、定員を超すたくさんの方々が来てくださいました。

ちなみにこの素敵スペースを設計デザインてくれたのも同級生です。
そして最後にガツンと来たのが、内藤くんから豊橋の人に向けたメッセージ。


■
余談ですが、ぼくのコピーは、
『もう「豊橋には何もない」とは言わせない』
このコピーは地元出身でクリエイティブ職の先輩に相談しながら
考えてくださり、今も名刺に書いてあります。

「内藤くん、気を遣ってくれたんだなぁ」
と思いながら(当選後はじめて会うので)
講演後に名刺を渡したら、
「げっ、、。」
って顔をされました!
同級生って素敵ですね。
では!
「エルサゲート」こわいですね。
さて、友人でライターをしている小澤さんが、
地元・豊橋について、とっても素敵なエッセイを書いてくれました。
地元紹介は彼女のエッセイを読んでもらうとして、僕的に最も響いたのはこの箇所。小澤志穂(しぶりん/三河の人)@nagoyatabijo
【書きました】
2018/02/01 11:49:48
20代前半までは「地元は何もない、どっつまらん」と言っていたタイプですが、今の私は良い面もそうでない面もひっくるめて地元豊橋が好きです。
「何もない」と出て行った地元「豊橋」は、視点を変えさえすれば暮らしやすい街… https://t.co/utfckC5aYI
いつも地元から逃亡を図っていた私は「地元は何もない、つまらない」が口癖だった。(略)彼女が影響を受けたとブログで紹介されている、元医学生ライターの朽木誠一郎さんもこう書いている。
常に無い物探しをして「良いものは地元の外にあるもの」と疑わなかったし、一度も地元を出たことのない同級生たちとは疎遠になっていった。
豊橋は何もない、つまらないと言いつつ定期的に帰っていた。それは実家という帰る場所があるからだ。(略)地元が嫌いだったのではなくて、何者でもない自分と向き合わざるを得ない地元にいることが苦痛だったのだ。どこかに自分の居場所があるはずで、今の自分は本当の自分じゃない、自分探しの旅に迷い込んでいた。本当の自分は今ここにいる、自分の居場所は自分でつくるしかないと気付けてからは地元豊橋の「無い物探し」はやめて、名古屋で一人暮らしを楽しみつつ「豊橋には何があるかな?」「友人を豊橋に連れて行くならどこかな?」と探すようになった。
■そしてふと、「嫌いだったのは前橋じゃなくて、自分だったんじゃないか」と思った。たしかに、前橋は田舎だ。都会のように目を引くものはない。何もない場所では、人はどうしたって、自分と向き合わなければいけなくなる。自分のことが嫌いでそれができない僕は、自分ではなく、環境を嫌うことにしたんだと思う。僕の中には、自分がなかった。「こうしたい」がないのに、「これじゃない」ばかりを繰り返していた。(略)田舎には選択肢がない、とずっと思っていたけれど、そうじゃない。自分なりの価値基準を持って何かを選んだことがなかったから、何を選んでもその価値を判断できなかったのだ。都会的という分かりやすい価値でしか物事を測れなかったのだ。世界を狭く、閉ざしたのは、本当は他ならぬ、自分だ。そこにあるものを、もっとそのままに、楽しめばよかった。
- 田舎が嫌いだったんじゃなくて、自分が嫌いだったんじゃないか【群馬県前橋市】(寄稿:朽木誠一郎) - SUUMOタウン
https://suumo.jp/town/entry/maebashi-seiichirokuchiki/
実は、ぼくは豊橋をきらいだと思ったことが一度もありません。
むしろ高校を卒業するまでは、上京するまでは好きだとも思ったこともありません。
つまりは、地元に無関心な高校生でした。
でも、地元をわるく言われたら嫌な気分になる。
それに気づいたのは上京してからで、外の人に言われたら嫌だ、というのに気がつきました。
今では、地元の人でも、地元をわるく言う人にはかなしい気持ちになります。
そして最近、こんなブログを書きました。
そしてだいぶ前にはこんなことも。地元の人ですら「つまらないもの」と見なしているどころか、気にかけない・目に留めない・意識にも上らない、道や石ころや土地の勾配に意識を止め、そこをヒントに、タモリさんの博学な知識から、その土地やその町の成り立ちを紐解く。タモリさんを前にすれば「つまらないもの」が、地球規模の歴史の語り手に早変わりする。小さな変化や違いから、大きなストーリーに思いを馳せられる、これこそ教養だと、思わされます。- 文化の町をつくる手段は、ひとりひとりが教養を高めること - 愛知豊橋・長坂なおと のblog
「ないものはつくる」東京はたくさんお金を稼いで、楽しむためにもたくさんお金を消費して楽しむまち。 楽しませてもらうまち。地方は、自分で楽しみをつくりだすまち。 自ら楽しむまち。- お金を払って楽しむ東京と、楽しみをつくる地方 - 愛知豊橋・長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/160410.html
そういう感覚、習慣、メンタリティーが地方で楽しくくらすコツだとも思います。
それを「DIY精神」と書いたこともありました。
最近も、豊橋の「DIY精神」を感じることがありました。「豊橋の公共=?」そんな簡単には答えが出ない。岸井さんの「東京の条件」でいう「いき」は豊橋でいうと何なのか、(略)で、現時点でぼくがいま一番しっくり来ているのが「DIY」DIYとは、ホームセンター的な、Do It Yourselfの略ですが、なんというか「ないなら、自分でつくっちゃえ」的な。(略)
いわゆる「ものづくり(工業)」に関わっている人が多かったり、百姓(農業)文化からなのか「なければ、自分でつくる」というDIY精神が発達している・・・というより、「自分でつくる」という精神的ハードルが低い気がする。それは、ものだけでなく、イベントとかも。
- 「ともに考え」「市民が主役」本当にそんな気あるの? - 愛知豊橋・長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/170224.html
■オトナ音@愛知豊橋@otonaoto
【クレイジー剣さん】撮影NG→スペシャルOKタイムで、一気に大統領就任みたいな光景になった笑。
2018/01/28 20:30:39
2月17日(土)には再び豊橋、今度はコンサートがありますよー!
https://t.co/y89L02xQ7q
両方とも有志の実行委… https://t.co/tRNxgrSQBK
そして本日、日本を代表する「ものづくり」ベンチャーである、
WHILL社の代表・内藤淳平さん(豊橋市出身、というか同級生)が、
Uターン講演をしてくれました。

https://peraichi.com/landing_pages/view/sg20170203

恩師や同級生を含め、定員を超すたくさんの方々が来てくださいました。

ちなみにこの素敵スペースを設計デザインてくれたのも同級生です。
そして最後にガツンと来たのが、内藤くんから豊橋の人に向けたメッセージ。

無理に世界をかえようとおもわなくていいそして、
まず身近な人、身近なことを考えてみれば良い
実験してみよう遊んでみよう
新しいビジネスにしようっていうと、笑う人がいるかもしれない。
でも遊んでいるっていえば、ぼくも仲間に入れてくれってなる。
そういうやわらかい気持ちでまず一歩ふみだしてくれると、次の世界が見えるはず。

豊橋は、ベースキャンプこれには本当に驚きました。
なにもない街なんていわない
変な色の着いてない、白紙のようになんでもうけとめてくれる、
豊かな街がある。
何もない街なんていわず、なにもしない自分がいるだけだっておもって、
ちいさなことから、遊んでみてほしい
■
余談ですが、ぼくのコピーは、
『もう「豊橋には何もない」とは言わせない』
このコピーは地元出身でクリエイティブ職の先輩に相談しながら
考えてくださり、今も名刺に書いてあります。

「内藤くん、気を遣ってくれたんだなぁ」
と思いながら(当選後はじめて会うので)
講演後に名刺を渡したら、
「げっ、、。」
って顔をされました!
同級生って素敵ですね。
では!