豊橋市議の長坂です。
遊び人から賢者になるような人生に憧れます。

さて、日曜の中日新聞に掲載される「わたしが編集長」というコーナーが好きです。
このコーナーは紙面のおよそ1/3という膨大な面積で、
各地の記者が好きなコト・モノを書くという自由度高い、かなり思い切ったコーナーです。

そして1月28日(日)の見出しがなんと、
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遊郭の面影 軍都の記憶

おおおお!
豊橋の遊郭跡は、過去にブログに書いたほど気になるスポット。
遊郭がある町、豊橋 - 愛知豊橋・長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/150823.html
書いたのは、昨年豊橋に赴任したばかりの高橋雪花記者。
たかはし・せつか
東京都出身、記者2年目。中学生のこと、図書館でたまたま赤線地帯の本を手に取ったのが「郭通い」の原体験。歴史の隙間を伝える遊郭は立派な遺産だと、声を大にしていいたい真面目な24歳。豊橋総局。

 みやびやかな屋外に、欄干の透かし彫り。格子窓の奥からは、ああ、着物姿のゆうじょが手招きしてきそう。豊橋市内に点在する遊郭跡は、マニアにはたまらないスポットとしてひそかに知られている。それにしても、豊橋で遊郭が栄えたのはなぜだろう。

 - 中日新聞(1月28日)当該記事より
立ち話程度に何度かお話したことはあったが、そんな趣味があったとは・・・
一気に好感。気が合いそうです。


■陸軍の誘致
 1908年、経済効果を見込んだ市の陸軍誘致が実り、高師村(現豊橋市南部)に第15師団が駐屯。人口4万人だった豊橋に兵士や関係者計2万人が一挙に加わり、日露戦争後疲弊していた街は活気を取り戻した。

 大口喜六市長は人口増加に対応するため、色街を市街地から郊外に移転・拡張することを陸軍と約束。市は田園地帯だった現在の吾妻町に土地を買い上げ、10年東田遊郭として仕立てあげた。

 東田遊郭の遊女は、12年には300人超に。後に整備された路面電車の終点は東田遊郭の手前に置かれた。

 - 同上
陸軍と遊郭の関係については、聞いていましたが、てっきり路面電車沿い、
今の豊橋公園にあった「陸軍歩兵第18連隊」のことかと思っていたら、
高師(現在の高師緑地、愛知大、豊橋工高、時習館高などエリア)の第15師団がきっかけだったとは。

この記事で、何より価値があると思ったのは、往時を知る方の証言です。
親が有楽町で遊郭を営んでいたという安藤絹代さん(86)も「若い兵隊さんが遊びに来ていた」と証言する。
小池遊郭近くに住む男性(83)は「進駐軍が遊郭にジープ型の車で乗り付けてきた。派手な着物を着たきれいな女の人と話しているのを見た」と振り返る。
東田仲の町に住む女性(73)は「盆や正月は、通りを田舎のお兄さんがぞろぞろ歩いていた。女の子の花見や海水浴に、お客さんの若い衆がついてきた」と懐かしむ。
すごい。
よく見つけたし、そしてそれ以上に、よく聞き出した。



感動して高橋記者に連絡とったところ、ざんねんなお知らせが。
記事の写真にもなっていた建物、実はまだ「旅館」として営業していました。
ギロウズの夏合宿 豊橋東田遊廓に泊まる
http://thegirous.blogspot.jp/2012/08/blog-post_22.html
しかし、今はもう営業されていない様子。
一度、泊まっておけばよかった・・・

他方、さまざま聞く都市伝説的な話についても確認できました。
そんな豊橋の遊郭跡ですが、なんとある方が「全国3位」と!
“遊郭好き女子”「魅力は窓がかわいいこと」
私にはたまたま遊郭が好きな女性の知人がいるので、遊郭の魅力を彼女に聞いてみた。

Hさん(29歳)は、東京の会社に勤める女性。近年、全国の遊郭跡を訪ね歩いている。すでに50カ所に行った。「いちばん印象的なのは京都の五条楽園。次が尾道。3番目は難しいですが、豊橋かな。愛知県が全般にいいです。建築的に派手というか、面白い」。

 - 20代女性が吉原「遊郭専門書店」に集う理由 現代社会の不況・貧困問題が影響している? | 三浦展の研究ノート「街を読む、データを歩く」 - 東洋経済オンライン
http://toyokeizai.net/articles/-/156078
京都、尾道、に続いて、3番目が豊橋とは!嬉しい!泣ける!!
美術博物館さん!こちらは3位ですよ!(個人の意見ですが)

では!