豊橋市議の長坂です。
安室奈美恵さんを語るイモトアヤコさんが好きです。
さて、フェイスブックで、こんな投稿を見つけました。
それもあって、興味深く拝見させていただきました。特に後半にある、
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14年間紅白に出なかった過去も含め、安室さんほどの方なら、
今回、紅白に出れば「視聴者」から何を期待されているか、
も分かった上での出演であり、それも踏まえ、覚悟してではないかと思います。
そして、冒頭の投稿を見て、東北出身の学生のこの投稿を思い出しました。
「自分は被災地の人間という個性は拭えないのではないか」
にまで、思いを馳せることは困難であったと思います。
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ぼく自身も今や30半ばで、様々な経験をしました。
歳を積み、経験が増えるほど、それを通じて人から見られます。
「親の仕事」「出身地」「出身校」「社歴」「今の仕事」などなど。
大学入学後に会った人には「◯◯大学の長坂」となり、
更に市議になってから会った人には「市議の長坂」に。
それは今でも続いていますし、これからも続くでしょう。
"You are what you eat"
(あなたの身体的・精神的健康というものは、あなたがどういうものを食べるかで決まります)
という言葉があります。これに倣えば、
"You look like what you experience"
(あなたがどう見られるかは、あなたの経験で決まる)
とも言えそうです。そしてこれはずっと続きます。
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先日、成人式がありました。
ぼくの頃と同じく、夜には同級生での懇親会があったようです。
二十歳だったぼくが気づいたのは、同級生の居心地の良さ。
「◯◯大学の」ではない「長坂」として扱われる
安心感のようなものかもしれません。
今なら「長坂なおと」ではなく「長坂尚登」のような。
残念ながら、今になって新しくこのような友人を得るのはとても難しい。
どうしても過去の経験やラベリングを通して、まずは見られてしまいます。
うちの両親はともに60を超えていますが、地元にいることもあって、
それなりの頻度で同級生に会ったりしているようです。
還暦もすぎれば、当然今のぼくよりもはるか多くの経験をし、
様々なラベリングも持っていると思います。
だからこそ、ラベリングされる前の自分、を知っている友人たちは、
稀少な存在なのかもしれません。
では!
安室奈美恵さんを語るイモトアヤコさんが好きです。
さて、フェイスブックで、こんな投稿を見つけました。
予見するように、紅白直前の年末にはこんな記事もありました。見事に紅白の安室ちゃんの感想が「昔の曲の方が見たかった」の大合唱(略)いつになっても過去の自分の記憶を塗り替えてもらえず、それが最高として、「過去の自分のままであること」を期待されちゃってるわけだから。ずっと歌手活動続けてきて、「10代の安室、20代の安室、30代の安室、40代の安室、それぞれよいよ」ではなくて、世間は「10代の安室が良いよね」だけなんだもん、きついよな。
「ライターの松谷創一郎さん」とは、学生時代に少しお話したこともあり、マスコミが報じる「安室奈美恵」は、2001年で止まっている http://www.huffingtonpost.jp/2017/12/30/namie-amuro_a_23319989/
大みそかに生放送されるNHKの紅白歌合戦に歌手の安室奈美恵さんが出る。紅白出場は14年ぶり、10回目。安室さんは2018年9月に引退するため、最後の紅白となる。2017年9月に安室さんの引退が伝えられてから、メディアは安室さんの思い出や功績を語り合ってきた。だが、その多くは、「"20世紀の安室奈美恵"のイメージで止まっている」と、エンターテインメント業界を取材してきたライターの松谷創一郎さんは話す。私たちは、本当の、いまの安室奈美恵を知らないのかもしれない。松谷さんに寄稿してもらった。
それもあって、興味深く拝見させていただきました。特に後半にある、
安室は、コンサートでMCもなく2時間ダンスして歌い続ける。しかもそうした公演を年間50本以上もこなす。だが40歳を過ぎて、それを続けるのは現実的にかなり厳しい。EXILEのリーダー・HIROも44歳でパフォーマーを引退したが、それと同じ理由だ。要はアスリートの引退だ。これはかなり合点が行くものがありました。
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14年間紅白に出なかった過去も含め、安室さんほどの方なら、
今回、紅白に出れば「視聴者」から何を期待されているか、
も分かった上での出演であり、それも踏まえ、覚悟してではないかと思います。
そして、冒頭の投稿を見て、東北出身の学生のこの投稿を思い出しました。
安室奈美恵さんと違い、中高生で地震を経験した彼がその当時、震災をネタにして人生を切り拓いてきた僕たちは、被災地への貢献を「しなければならない」のだろうか。
https://www.facebook.com/nishimuraayumu315/posts/958062801008365-------三年抱き続けてきた悩みです。冬休みが終わって大学が再開するので、言語化したいと思っています。-------
(略)今となっては赤面するほど恥ずかしいのだが、大学入学前はひたすらに「震災を利用させて頂いていた」のだ。
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大学に入学して自分のアイデンティティに悩み始める頃、震災をネタにして人生を切り開いてきた自分に嫌気が差すようになった。(略)
ところが、最近になって違和感がもう一度やってくる。この三年間ずっと心の底で引っかかっていたモヤモヤである。自分は被災地の人間という個性は拭えないのではないか。そして冒頭にも書いたように、被災地をネタにして人生を切り開いてきた分、その分のお返しを「しなければならない」のだろうか。
「自分は被災地の人間という個性は拭えないのではないか」
にまで、思いを馳せることは困難であったと思います。
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ぼく自身も今や30半ばで、様々な経験をしました。
歳を積み、経験が増えるほど、それを通じて人から見られます。
「親の仕事」「出身地」「出身校」「社歴」「今の仕事」などなど。
大学入学後に会った人には「◯◯大学の長坂」となり、
更に市議になってから会った人には「市議の長坂」に。
それは今でも続いていますし、これからも続くでしょう。
"You are what you eat"
(あなたの身体的・精神的健康というものは、あなたがどういうものを食べるかで決まります)
という言葉があります。これに倣えば、
"You look like what you experience"
(あなたがどう見られるかは、あなたの経験で決まる)
とも言えそうです。そしてこれはずっと続きます。
■
先日、成人式がありました。
ぼくの頃と同じく、夜には同級生での懇親会があったようです。
二十歳だったぼくが気づいたのは、同級生の居心地の良さ。
「◯◯大学の」ではない「長坂」として扱われる
安心感のようなものかもしれません。
今なら「長坂なおと」ではなく「長坂尚登」のような。
残念ながら、今になって新しくこのような友人を得るのはとても難しい。
どうしても過去の経験やラベリングを通して、まずは見られてしまいます。
うちの両親はともに60を超えていますが、地元にいることもあって、
それなりの頻度で同級生に会ったりしているようです。
還暦もすぎれば、当然今のぼくよりもはるか多くの経験をし、
様々なラベリングも持っていると思います。
だからこそ、ラベリングされる前の自分、を知っている友人たちは、
稀少な存在なのかもしれません。
では!