豊橋市議の長坂です。
昭和58年生まれです。

さて、昭和58年から平成8年(1983-96年)に市長をされた、
前々豊橋市長の本を見つけて読み始めました。

まだ、読んでいる最中ですが、
非常に興味深い記述を見つけたので、ご紹介します。

ときは1989年(平成元年頃)の話。
実に素晴らしい体育館が西部に誕生した。 さら今後は総合競技場、プール、野球場等々の建設も視野に入れて逐次計画を進め、用地の買収も計画的に進めていった。 総合スポーツ公園にしたいと考えていったのである。

駅の大改築、その周辺整備は実行しなければいけない課題だ。 しかし、その実現化に努力して今日に至る。 多くの市民、港湾関係者、進出企業の人々も車は持っていても公共的な交通体制の整備を望む声は高い。 駅の南口、そして其の周辺の整備に伴って、少なくとも柳生橋付近から港方面、さらに将来整備するであろう西部体育設備ゾーン、新市民病院迄の公共的交通整備が必ず必要になると考えられるので、比較的用地買収のかからない方法として、柳生川の上を通り西進し西部土地改良区の塩留めの上を通過し、市民体育館を経て市民病院迄のモノレール掲架で構想を考え、運輸局、建設省、及び件に相談をもちかけた。

「大いに検討すべき事ですね」

との良い返事であった。 また西部土地改良区理事長◯◯氏も、

「それは面白い事だ。実現出来得れば西部方面が大発展するから協力はやぶさかではない」

と賛同された。 しかし先ず駅南の整備開発が先決で、その上に立ってのモノレール構想だ。(p174-175より)
ぶったまげました。

文中の経路、
柳生川の上を通り西進し西部土地改良区の塩留めの上を通過し、市民体育館を経て市民病院迄
を地図上で示してみると、こんな感じでしょうか。

柳生橋から柳生川と塩留(と思われる箇所)を経由して、総合体育館までルートが赤線。
総合体育館から市民病院までは、明確に示されていないので直線で結んだのが青線です。

赤線が約10km、青線が約2km、併せて12kmになるルートです。



モノレールと聞くと、おととし姫路を訪問した際に、ご案内いただいた
姫路市営モノレール跡(1966年開業~74年休止~79年廃止)のインパクトが強すぎて・・・
171224_151021_235617
残る架線
171224_151021_234903
残る橋脚
171224_151021_235156
駅があった高尾アパート
171224_151021_233057
2階部分の一部の上をモノレールが通る前提で建てられたという、
3・4階の一部を欠いた「逆L字型」のビル。

より詳しく知りたい方はこちら。
姫路モノレールで45年前にトリップする - デイリーポータルZ
http://portal.nifty.com/kiji/110914147978_1.htm

ビルに突き刺さる軌道 姫路、「未来交通」夢の跡 : NIKKEI STYLE
https://style.nikkei.com/article/DGXNASFB2100J_R21C13A2000000/

「大将軍駅」が語る「短命モノレール」の大構想 姫路市内の南北結ぶ路線計画や鳥取延伸も… | 都会に眠る幻の鉄路 - 東洋経済オンライン
http://toyokeizai.net/articles/-/136449

姫路モノレール・大将軍駅の痕跡が色濃く残る高尾アパート http://www.railwaystation.jp/haieki/daisyogun.html

姫路モノレール
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/8656/report/himejimonorail.html 
2kmに満たない距離で、廃止となった姫路モノレールですが、
構想は壮大で、なんと当時は姫路から鳥取までをつなぐという話まであったそうです。



豊橋のモノレール構想と同時期に検討されていた沖縄のゆいレールは、
距離も同じ13kmほどですが、その事業費はなんと1100億円!
(8)建設費:全体事業費1,100億円
那覇空港から首里城という、ゴールデンなルートを結びつつも、
開業の2003年から2015年まで、単年度では赤字(2016年に初の黒字)。

もし豊橋市でモノレールをつくっていたら・・・身震いがします。



冒頭引用した箇所に続く文章は、
豊橋鉄道渥美線、名鉄、飯田線、東海道線、そして新幹線等々非常に多くの交通アクセス上、極めて有効なモノレール線となる筈だと深く信じているが今なお実現出来ない。 色々の難問題を解決しなければならない話だと十二分に理解しているが、このモノレール構想は官民挙げて更に検討して戴きたいと考え続けている。 今愛知万博は国を挙げて新交通システムに鋭意努力しているが、吾が東三河に出来ない筈はないと信じている。 一日も早い実現化を心より願う(p175より)
ここでいう「」とは、執筆をされている2002-03年の21世紀。
冒頭の総合体育館ができてから、15年ほども経っているわけです。

このときぼくは大学生。
愛知万博の新交通システム(リニモ)すら、
当時から不安視されていたような気がするのですが・・・
リニモの経営安定化策について - 愛知県

リニモ(東部丘陵線)は、日本初の常電導磁気浮上式リニアモーターカーとして愛・地球博開幕直前の平成17年3月に開業し、博覧会期間中には約2,000万人もの利用者がありましたが、閉幕後は利用者が当初見込みを大幅に下回り、収益が当初計画と乖離する結果となりました。(略)

 一方で、開業時の初期投資に伴う長期借入金返済負担が会社経営を圧迫していたことから、25年度までの当面の債務超過と資金不足を回避するため、県と沿線市が協調し、「第一次経営安定化策」として、20~25年度に総額115億円の支援(DES(貸付金の株式化)、現金出資)を実施しました。

 しかしながら、長期借入金返済負担(25年度末残高163億円)が依然として会社経営の重荷になっているとともに、多額の減価償却費による恒常的な営業損益のマイナス構造は続いており、26年度に債務超過、27年度に資金不足に陥る見込みとなったことから、県と沿線市、民間企業が協調し、「第二次経営安定化策」として、26~28年度に総額163億円の支援(DES、現金出資等)を実施することとし、長期借入金返済負担を会社経営から切り離すとともに、減損処理を実施して財務構造の抜本的な改善を図りました。

 この結果、長期借入金を全額返済するとともに、減価償却費の減少により経営が健全化され、27年度に営業損益及び経常損益が黒字化、28年度には当期純損益が黒字化しました。
http://www.pref.aichi.jp/soshiki/kotsu/0000081014.html
更に15年経って、未だにこのような状態。
ジブリパークでV字回復はあるのでしょうか。



信じ続けることが大切なときもありますが、
時代の変化を見極める難しさも痛感します。

では!