17にんのごうし

 戦国時代には多くの郷士が東三河に土着し,多くの郷村が成立した。林自見「三州吉田記」に「是時東三河有十七人郷士」とあり,今橋城を守る今川方の17人の郷士がいたことを記している。

① 戸田惣兵衛は,二連木(にれんぎ)にいた。

② 石田式部は代々,吉田天王社の祢宜(ねぎ)を務めた家柄である。鎌倉時代初頭,鎌倉の相馬天王を勧請して当地に来,今川氏に仕えて花ヶ崎の祢宜名を承認保証されている。

③ 渡辺平内次は,源経基の子孫といわれ,鎌倉幕府滅亡後当地に来て,馬見塚に住み,神明社の神職を務めたという。

④ 朝倉七右衛門は,朝倉川中流にいたといわれるが,口伝のみで明らかな証拠はない。

⑤ 石原治郎兵衛は,佐野知尭「三河国二葉松」に,「羽田村古屋舗 石原百度兵衛 酒井左衛門尉家人」とある。

⑥ 室金平は,「三河国二葉松」の「牟呂村古屋舗,鷲津村本光寺棟札,牟呂城主鵜殿兵庫頭,牟呂兵庫頭正蔵」の一族か。

⑦ 渥美順慶は,花ヶ崎(豊橋市松山町)にいたといい,この地に牛頭(ごず)天王を勧請して祀ったと伝えられている。

⑧ 白井麦右衛門は,「三河国二葉松」に,「下条五井村古屋舗 白井麦右衛門」とある。

⑨ 舞車小平次は,藤原秀郷の後裔(こうえい),小山太郎朝政の末という。下地に居住して,その子孫は中西を名乗っていた。

⑩ 星野一閑は,「三河国二葉松」にいう「行明村古城 星野日向守先祖代々」の一族か。

⑪ 川合実戸平は,渥美半島からその基部にかけていた土豪の一族か。

⑫ 後藤喜四郎は,「三河国二葉松」に「二川八幡杜 神主後藤勘ヶ由」「大岩村神明 神主後藤治郎兵衛」とあるので,二川方面の土豪か。

⑬ 塩瀬勝西は,設楽郡塩瀬村(南設楽郡鳳来町塩瀬)古城・同郡下々村(新城市八束穂)古城の城主であったという。

⑭ 林雅楽は,「三州吉田記」の著者・林自見の先祖で,美濃の斎藤家に仕えていたが,吉田(豊橋)に来たという。

⑮ 岩瀬可竺は,「三河国二葉松」の「長山村古屋舗 在三ヶ所 岩瀬掃部・同名嘉竹・山本市左衛門」の嘉竹である。

⑯ 本田如電については明らかでないが,「三河国二葉松」の「篠束村天王社 神主本多善太夫」の一族か。

⑰ 森刑部は,「三河国二葉松」の「森村古屋舗 佐竹刑部太夫」に関連するか。

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!