地元出身の映画監督、園子温さんの「みんな!エスパーだよ!」完成披露試写会がありました。

場所は、豊橋市公会堂。
まさか公式ツイッターに、

載りました。
ツイッターでも話題。
※国の文化財です。
そして、まさか舞台上から園さんが声かけてくれて、嬉しい限り。
ありがとうございます。
■
さて、映画の話はあまり書いてもネタバレなので、「おっぱいがいっぱい出てきました」ということだけお伝えして、この辺りにし、代わりに最近読んだ本、詩人・園子温作「受け入れない」をご紹介。
この本は、
書き下ろしの14編の詩と、エッセイで構成されています。
とても共感できる部分も多かったため、一部抜粋してご紹介します。
以下、抜粋はすべてエッセイ部分です。
そう、映画を撮ってこその映画監督。






この絵のタイトル『あたしたちのこ。あたしのかけら』って言うんだぜ。
オレたちの日常はイカしてるだろ?、園子温さん。
では!

場所は、豊橋市公会堂。
まさか公式ツイッターに、
esper_movie@esper_movie
今日は、昨日の東京に続いて、ご当地豊橋での完成披露試写会!園監督、染谷将太さん、池田エライザさん、真野恵里菜さんが撮影地の豊橋公会堂で凱旋舞台挨拶をおこなったに! #みんなエスパーだよ http://t.co/6hEOpyYfRF
2015/08/04 21:14:41

載りました。
ツイッターでも話題。
豊橋の寛容さ、すばらしいです。おぐら@katsu72salt
どうした豊橋 http://t.co/l9DCX7KlaM
2015/08/04 13:48:31
※国の文化財です。
そして、まさか舞台上から園さんが声かけてくれて、嬉しい限り。
ありがとうございます。
■
さて、映画の話はあまり書いてもネタバレなので、「おっぱいがいっぱい出てきました」ということだけお伝えして、この辺りにし、代わりに最近読んだ本、詩人・園子温作「受け入れない」をご紹介。
この本は、
2015年5月3日、日曜日、午後5時53分。とあるように、映画『みんな!エスパーだよ!』のロケの合間を縫って執筆されたようです。
たった今、これを愛知県豊橋市のホテルの一室で書いている。
- はじめに ~十代の君へ~
書き下ろしの14編の詩と、エッセイで構成されています。
とても共感できる部分も多かったため、一部抜粋してご紹介します。
以下、抜粋はすべてエッセイ部分です。
「代表作は何か」と聞かれることがありますが、代表作というものはもう死んだ映画のようなものなので、自分にはまだありません。なぜか、とても気持ちい文章。
『ラブ&ピース』が2015年の6月に公開されますが、それが今の代表作です。2016年公開予定の『ひそひそ星』もそうです。そういう未来の代表作っていうのはあります。過去の作品に関して言うと、そこが映画監督としての一番ピークだったって自分で言っているようなものだから言いたくないんです。
そう、映画を撮ってこその映画監督。
「普通」というのは一番最悪の言葉です。
普通とはどういうことかというと自由が欲しくない状態です。日本人にとって自由は普通ではありません。(略)
家族や自分の周りだけの狭い範囲だけで、それぞれの「普通」は形成されてきていますが、それが「普通」の普通とは限らない。 (略)
日本人が自分は普通だと思っているすべてを突き崩さないと、社会も芸術も変わりません。日本人が考えている普通を疑ってかからないと、物事が動かないんです。

例えば音楽。夢に突っ走ってフリーターをしながら音楽をやっている若者をほとんどの人はバカにするけれど、僕からしてみれば、絶対的にいい選択です。まず第一にそれは正しい。なぜならやりたいことをしているから。(略)
自由にやるってことは、自分で自分の才能を客観的に見るという能力が必要になります。映画のオーディションの審査員を何度もやっていますが、多くの人が自分のことを理解していません。(略)
彼女たちは自分の現在がまったく見えていないのです。そのまんまの自分で努力もせずに、目標としている女優になれるとでも思っているのでしょうか?
「まだ未熟者ですがこれからいろいろ努力していきます。負けない気持ちだけは人一倍あります!」とかという意味不明な発言をする人がいますが、「人よりも負けない気持ち」っていうものを、どこでどう調査したのでしょう。絶対にそんなことは調査できるはずがない。むしろ他人はもっと頑張っていることのほうが多い。
最も印象的だったハリウッドでのオーディションに来た俳優たちの話をしましょう。彼らは1本の映画に対して就職活動くらいにマジでやって来てきます。日本の真面目な大学生が就職活動でするように、しっかりと面接前に予習をして固めてきます。
まず僕の映画のオーディションだったら、今までの僕の作品を全部観てくる。そして面接を受けようとしている映画の原作ももちろん読みますし、それに対しての自分の意見もきちんと持っています。これがまず彼らのオーディションを受ける前提としての常識なのです。(略)
面接では落ちるべくして落ちるタイプの人が、まずゾロリと落とされます。

もともとハンサムでも美女でもなかったら、服やヘアスタイルなんかに金を使わないで、旅行や読書や知識を学ぶことに専念してればいい。
年齢や若さは維持できない。
守れないものは守れない。同じことが映画でも言える。若い頃は憧れの先輩のスタイルを真似る。自分だけのスタイルがないから完璧を目指して、かっこいい絵とかっこいい音楽とかっこいいラストシーンでかっこよくきめたい。
しかし、それは自分のスタイルじゃない。 そのうちわかってくるのは、自分にしかできない、これだけは自分のよい点だというやつです。
1点突破でここだけは俺は自信があるんだというものを知った上で映画を作った方が攻めていけます。

20歳の頃、『現代詩手帖』の新人賞が取れなかったらもう続けないと決めていました。
最後の候補2人のうちの1人でしたが、選者の方の「園子温がデビューするにはまだ早い」という一言で終わってしまった。きっとあのとき選ばれていたら、まだ詩人としてやっていたんだと思います。そう考えるとすごい運命です。
新人賞の選者の評で、この人はまだ早い、と述べることが結構ある。小説の世界とかでもありますが、その選者のその言葉でそのまま辞める人もいる。それってどういう目線なんだろうか。
実際には「気に食わない」が本音でしょう。

インプットばかりをしてアウトプットをしない人も多いですが、アウトプットしないとただの毒舌の評論家になってしまいます。自分が努力していないため、自分がどのくらいのレベルなのかわからなくなっていきます。(略)
評論というのは作品を作ることです。僕は今の日本映画がダメだと思うから自分の作品がそれに対しての評論でもあります。(略)
映画好きで映画評論を読んだり聞いたりするのが好きな素人が一番たちが悪い。(略)
作品は死んでもないし、安全圏でエアー日本刀を振り回しているだけで、作品は無傷だということを理解していないんじゃないかと思うときがあります。

17歳の頃、僕はまだ女性を知らなかった。今の人はあんまりいないかもしれないけれど、女性を知ると汚れていくという感情が僕だけではなく当時の男たちにはあった。
周りの同級生はどんどん汚れていき、ピュアな心を失ってしまっていて、自分は汚れたくないと思っていた。
でも僕もすでに汚れているんじゃないか。もうすでにどこにでもある大人の顔になりつつある。どこにでもある標準型になっていると感じていた。
あがいてもあがいてもその大人というものへの逃げ道はなく、そこは塞がれて大人になっていかざるを得ないと感じたのです。

この絵のタイトル『あたしたちのこ。あたしのかけら』って言うんだぜ。
オレたちの日常はイカしてるだろ?、園子温さん。
では!