自転車に乗りながら、僕が参加した、市主催の市民ワークショップを思い出し、「あれをして、『ワークショップってこういもの』だって思ってほしくないな。 でもきっと、他にワークショップ参加する経験ないだろうから、『ワークショップというのはこういうもの』と思ってしまうのだろうな」、とか考えていました。

そこから、「これって他のことにも言えるだろうな。 例えば、広告。 TVCMひとつとっても、東京で流れているものと、豊橋で流れているものは違う。 まちを行き交う人々のファッションも違う。 東京で流れているものの方が洗練されていて、こういう普段接するもの、ひとつひとつの積み重ねが、違いを生んでいくのだろう」、とか。

更に、「それを知っていれば、人は洗練されたデザインのあるところに住みたいだろうし、となると、人が住みたい地域というのは、『豊かな自然と洗練されたデザイン』のあるところだ」、という結論に至りました。



そんなことを考えていた折、こんな記事を見つけました。

 「コンセプトはVS東京」――徳島県は、なぜ東京に「ケンカ」を売ったのか #アドタイ http://www.advertimes.com/20140912/article170238/
徳島の魅力を都市生活者にアピールするためには、誰もが納得できる価値を伝えることが必要で、しかもその価値は、東京にないものであるべき–共通コンセプト策定の背景には、そんな思いがある。
「VS東京」、という気持ち・意気込みはすごくよくわかる。 でもなんなんだろう、この「これじゃない」感。 別に、阿波踊りあるから徳島に住もう、とはならないのです。 「田舎なのに、東京らしい暮らし」の方がよっぽど惹かれる。 「東京らしい暮らし」というのは、言い換えれば「便利な暮らし」。 記載されている神山町の事例だって、田舎にいながら東京のように仕事ができるから人が集まっているというのに(少し逸れるけど、文中に「神山」の固有名詞が出て来ないのが怒れる)。
すでに成果が出始めている施策もある。全県下に光ファイバー網を整備し、山間部でもWi-Fiが利用できたり、古民家でもインターネットが使えるようにした結果、東京の企業20社ほどがサテライト・オフィスを徳島県に開設した。
東京なんて便利を極めた都市だから、便利で東京に勝負するなんて無理、と思うかもしれない。 でも実は、地方の方が便利なことって結構ある。 例えば豊橋で言えば、
  • 車なので、ものを運ぶのが楽
  • 作業やイベントなど、広い場所を確保しやすい
  • コンビニ以外にも24時間やってる店が多い(都内に24時間営業の書店ってないよ、たぶん)
  • 日常生活で、30分以上移動に費やすことはまぁない。
  • 車でドアtoドアなので、無駄に服装気にしない(特にジム行くときとか、東京ならジャージで電車乗りにくい)
などなど。 神山の例にしても、「光ファイバー敷いてみたけど、使う人が少ないから、東京より全然早いよ」みたいな、笑えない話が、実際売りになっていたりする。



話戻って、「豊かな自然と、洗練されたデザイン」

デザインというのは、広く、人がつくったもの全般のデザインを指しています。 それは有形物だけでなく、ワークショプみたいなものや、サービス、組織なんかの仕組みも含めて、教育や研修なんかも。 それが最も現れているのが、きっと売るために作られたもの。 広告物や、プロダクトデザイン、店舗設計なんか。 このあたりは、圧倒的にしのぎを削っている東京に軍配が上がる。 まちなみなんかだと、京都みたいに重ねた歴史がちゃんと残っているところや、沖縄みたいに、強い独自性がある地域だと、また違う方向性で洗練されている。

同じ、「ワークショップ」や「ファッション」と言う言葉が、東京の人と地方の人とで、意味しているものが違うように、逆に、沖縄の子どもと東京の子どもがイメージする「海」や、長野の子どもと東京の子どもが思う「山」はきっと違うはず。

負け惜しみのようだけど、豊かな自然を東京に持って行くことは難しい。 けれども、洗練されたデザインを地方にもたらすことはできる。 それができているのが、徳島の神山町や、長野の小布施や軽井沢、そして、島根の海士町だったりするから、そこには人が集まるのだろう。 もちろん、京都・沖縄も。

うちの母が、昔、
「トイレのきれいなキャンプ場なら行ってもいい」
と言っていたのは、この人間の欲求を端的に示していると、ふと思い出しました。

では。