今朝は珍しく喫茶店にいました。 そこで見つけた週刊誌に、気になる見出しがあったので、思わず手に取りました。

"泣かずに闘おう! 私が「塩村文夏」だった頃"
いかにもなタイトルですが、手に取った時点で僕の負け。
その中で、「婚活」の生みの親であり、ジャーナリストの白河桃子さんが、こんなことをおっしゃっていました。

僕ももう31歳。 独身。 最近、弟には子どもが生まれたこともあり、多少は肩身の狭い思いをしています。 「結婚も出産も個人に選択の自由がある」というのは、男女同じだと思うのですが、それでも僕は、子育てをしない人は、多少の肩身の狭さや申し訳なさを感じるべきだと思うのです(現時点の僕を含め)
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不適切な例えだと思いながら書きます。 「選択の自由」という文字を見て、まず思いついたのが喫煙。 煙草を吸う吸わないは、個人の自由。 けれども、それに伴う、責任、リスク、社会的制約や不利益もいっしょに受け入れる必要がある。 具体的に言えば、たばこ税、不健康リスク、然るべき場所での喫煙、今では採用試験で喫煙者を排除するケースもあります。
次に思い当たったのは、国民の三大義務の一つ 「勤労の義務」。 実生活に照らし合わせると、働かなくても罰せされるわけでなく(他2つの納税義務、教育を受けさせる義務は罰せされる)、なんなんだろと、ネットで調べたら、甲斐素直さんという憲法学者がわかりやすい解説を載せていました。
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確かに、出産や子育てをしない個人の自由は認められるべき。 けれども、社会全体としては、子どもや次世代が育って行くことを前提としている。 年金などの財政もそうだし、あなたの職場に新人が入ってくるのも、その新人を誰かが産み、育ててくれたからであって。 子育てをする人もしない人も、誰もがその恩恵を受ける。 だから、少子化や人口減少が社会問題化される。
白河さんの文章を見て、こわいなー、と思ったのは、権利ばかりが主張されていて、それに伴う責任に関する記述が見当たらないこと。 まあきっと、週刊誌という媒体的に、「わかってない」 おっさんたちへの戒めとして、きつめに書いてるのだと思いますが。 でもこれが行き過ぎると、「あー、子どもうるさい! あの人たちは好きで子育てしてるんだから、私の邪魔しないで!」 と。
個人がどのような選択をとってもいい。 けれども、少なくとも「子どもを産み、育てる」という選択が、より胸を張れるものであるべき。 そして、子どもを産み、育てている人に対しての感謝とリスペクトはあらゆる人が持たないといけないと思う。 特に、我々独身は。
では。

"泣かずに闘おう! 私が「塩村文夏」だった頃"
いかにもなタイトルですが、手に取った時点で僕の負け。
その中で、「婚活」の生みの親であり、ジャーナリストの白河桃子さんが、こんなことをおっしゃっていました。

現在の少子化対策は「結婚も出産も個人に選択の自由がある」という前提の上で、したい人に支援をする形。
高校や大学での講演でも、最初に「選択の自由がある」と話すと、必ずはっと顔を上げる子がいます。家庭も複雑になり、結婚や出産に良いイメージを持っているとは限りません。そこに「するのが当然」と押し付ければ、男性も女性も苦しめるだけです。
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不適切な例えだと思いながら書きます。 「選択の自由」という文字を見て、まず思いついたのが喫煙。 煙草を吸う吸わないは、個人の自由。 けれども、それに伴う、責任、リスク、社会的制約や不利益もいっしょに受け入れる必要がある。 具体的に言えば、たばこ税、不健康リスク、然るべき場所での喫煙、今では採用試験で喫煙者を排除するケースもあります。
次に思い当たったのは、国民の三大義務の一つ 「勤労の義務」。 実生活に照らし合わせると、働かなくても罰せされるわけでなく(他2つの納税義務、教育を受けさせる義務は罰せされる)、なんなんだろと、ネットで調べたら、甲斐素直さんという憲法学者がわかりやすい解説を載せていました。
(二) 「勤労の義務」をどう考えたらよいか→積極的な法的意味はない「働かない自由」も勤労の自由の消極的行使として当然に認められる。=親伝来の財産の上に無為徒食する自由は認められる⇒消極的な法的意味はある=勤労の能力を持ちながら、その意思を持たない者が国に対し健康で文化的な最低限度の生活をおくる権利を主張する場合に、それを遮断する・勤労権・労働基本権 - Biglobe http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/ken-kogi/11rodo-ken.htm
つまり、働く能力があるのに働かない人に、生活保護はありませんよ、と。
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確かに、出産や子育てをしない個人の自由は認められるべき。 けれども、社会全体としては、子どもや次世代が育って行くことを前提としている。 年金などの財政もそうだし、あなたの職場に新人が入ってくるのも、その新人を誰かが産み、育ててくれたからであって。 子育てをする人もしない人も、誰もがその恩恵を受ける。 だから、少子化や人口減少が社会問題化される。
白河さんの文章を見て、こわいなー、と思ったのは、権利ばかりが主張されていて、それに伴う責任に関する記述が見当たらないこと。 まあきっと、週刊誌という媒体的に、「わかってない」 おっさんたちへの戒めとして、きつめに書いてるのだと思いますが。 でもこれが行き過ぎると、「あー、子どもうるさい! あの人たちは好きで子育てしてるんだから、私の邪魔しないで!」 と。
個人がどのような選択をとってもいい。 けれども、少なくとも「子どもを産み、育てる」という選択が、より胸を張れるものであるべき。 そして、子どもを産み、育てている人に対しての感謝とリスペクトはあらゆる人が持たないといけないと思う。 特に、我々独身は。
では。