先日の都議会でのセクハラ野次が、大炎上しています。 都議会に1,000件以上の抗議、個人特定と処分についてのネット署名が50,000件、身内である自民党の大物からも批判の声が出ています。(まだ声の主が自民党と特定されていませんが)
ここへ来て、違和感を感じるのは、議論があまりにワンサイド、一辺倒であること。 「早く結婚しろ!」「子どもは産めないのかっ!」の背景にある主義主張について、「そうだ!そうだ!」という賛同意見が全然出てこない。 例えば、埼玉大名誉教授でNHK経営委員でもある長谷川三千子さんは、2014年のはじめ、旧来型の男性が稼ぎ、女性は家庭にという役割分担を、合理的と論じています。(こちらも大炎上しました)
妊娠、出産、育児は圧倒的に女性の方に負担がかかりますから、生活の糧をかせぐ仕事は男性が主役となるのが合理的です。ことに人間の女性は出産可能期間が限られていますから、その時期の女性を家庭外の仕事にかり出してしまうと、出生率は激減するのが当然です。そして、昭和47年のいわゆる「男女雇用機会均等法」以来、政府、行政は一貫してその方向へと「個人の生き方」に干渉してきたのです。政府も行政も今こそ、その誤りを反省して方向を転ずべきでしょう。それなしには日本は確実にほろぶのです。

「【正論】長谷川三千子氏 年頭にあたり 「あたり前」を以て人口減を制す」:イザ! http://www.iza.ne.jp/kiji/column/news/140106/clm14010603200001-n1.html
セクハラ野次も、このコラムも、僕にとってはすごく不快だけど、こういう考えの人は一定数いて、そういう人たちの受け皿(=投票先=政治家)の存在まで否定するというのは、ちょっと違うのではないかと。 女性が家庭に入り、専業主婦になる、という考え方は、僕らの親世代、数十年くらい前では、当たり前で、そういう価値観で育った人がまだまだたくさんいる。 僕も親から「男は、女・子どもを養わないといけない」と言われて育ってきた。

「それが幸せ」と言われて、育ち、子どもを育て上げ、人生も終盤に差し掛かっている人たちにとって、「早く結婚しろ!」「子どもは産めないのかっ!」の否定は、彼ら彼女らの人生の否定にもなりうるのではないかと。 僕の周りでも、「専業主婦になりたい」という友だちもいる。 超人的な人を前提とするような、仕事と家庭の両立が当たり前、の行き過ぎは、逆に彼女たちにとって、生きづらい世の中にならないのかな。
  • 「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」
  • 「男は80、90歳でも生殖能力があるけれど、女は閉経してしまったら子供を生む能力はない。そんな人間が、きんさん・ぎんさんの年まで生きてるってのは、地球にとって非常に悪しき弊害」
  • 「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババァ」
という発言をしても、圧倒的な人気で再選を続けた、元・石原慎太郎都知事の結果が、そういう人たちの存在を裏付けいる。 この考え方は、まだまだ現役で国の根幹をなしていて、未だに年金のモデル世帯は、「平均的な男子賃金で40年間厚生年金に加入した夫と、40年間専業主婦の夫婦を想定」している。



僕自身が、女性は家庭に、と思っているわけじゃない。 むしろ「専業主夫も当たり前に!」というくらいの主張の方を、僕は支持したい。 けれども、
私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る
肝にも銘じている、僕が好きな言葉です。

では。