おときた先生のブログを皮切りに、昨日、東京都議会で起きた心ない野次についての報道が拡がりを見せています。
この発言については、僕も飽きれ、不快な気持ちになりました。 そして同時におばあちゃんの言葉を思い出しました。



先日、もう80代の僕のおばあちゃんが、障がい者のための施設で働いている人のことを、「あの人は動物園で働いている」と言い、僕は衝撃を受けました。

祖母は、認知症で現在施設にいます。 僕はおばあちゃん子で、祖母は決してそんなことを言う人ではなく、実際に聞いたこともありませんでした。 そして、認知症になった祖母のその言葉は、本当にそう思っているから出た言葉なんだと思います。 つまり本音。 だからこそ、とても悲しかった。 逆に、認知症になる前には、「言っちゃいけないとわかっているから言わない言葉」だったのか、と。

おそらく祖母世代だと、見世物小屋の時代で、珍しい動物などといっしょに、奇形など障がいを持っている人たちを見ており、その経験から出た言葉なんじゃないかと。 何が言いたいかというと、当時はその感覚が当たり前だった、きっと。



野次を言った議員は、きっと祖母より一回りも二回りも年少だろうけど、きっとこの議員にとって、「早く結婚しろ!」「子どもは産めないのかっ!」は、本音なんだと思う。 嫌がらせようと思い、考えて出した言葉ではなく、日常的、普通に思っていること。

仕事柄、自分の親世代やその前後の方々と接する機会が多く、言葉の端々に、彼らがこういう感覚、僕ら世代からすると古いジェンダー意識を持っていることはよく感じる。 そして、おばあちゃんの言葉の経験から、もうこの違いはしょうがない、とも思っている。 だって彼らはそういう環境、教育、時代で育ったのだから。 逆に、その議員やおばあちゃんの言葉を不快に思うのも、僕がそういう時代で育ったから。

僕らが対峙しているのは、「早く結婚しろ!」「子どもは産めないのかっ!」と本気で思っている(時代の)人たちだという認識を、僕らは持っていないといけない。 だから根が深い。なかなか変わらない。 と同時に、僕らの当たり前も、後進からすれば、いつか必ず失言不快非礼無礼になる。 そういう「今の当たり前はいつかの当たり前じゃない」という意識も、忘れずにいたい。

年取って、ドヤ顔で「早く結婚しろ!」「子どもは産めないのかっ!」と言う最低の人間にならないように。

では。

<参考>