うおいちば

 魚市場は,天文年間(1532~55),今川義元(1519~60)から片浜13里の魚の販売権を与えられた。慶長6(1601)年に,熊野権現社境内の市開催が,伊奈備前守忠次によって継承された。

 明治維新によりその特権を失い,明治9(1876)年,有志による問屋が開かれる。しかし,問屋と仲買人の歩戻りの割合が折り合わず,仲買人仲間で問屋を開き,別の問屋ができたが採算が合わず,翌明治10(1877)年,和議が成立,合資による豊橋魚問屋を設立した。その後,株式会社に組織替えした。明治12(1879)年1月には,豊橋魚鳥と改め魚・鳥類・海産物を取り扱った。明治36(1903)年9月,豊橋町関屋に豊橋海産ができ海産物と塩の問屋を始めた。明治41(1908)年8月,仲買人が引き戻し金の引き上げを要求し,物別れになると丸仲魚問屋を設立した。大正元(1912)年に,和解協議を行い両社対等の条件で合併した。さらに,翌大正2(1913)年,豊橋海産も合併して,同2(13)年7月,豊橋魚市場株式会社が成立した。第2次世界大戦後,魚町の市場では手狭になったため,昭和41(1966)年,豊橋市下五井町青木へ移転した。

 参考文献 - 株式会社豊橋魚市場「豊橋魚がし─創立六十周年─」

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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