たかすしんでん

 高須新田および土倉(とくら)新田は,ともに,寛文5(1665)年,豊川(とよがわ)河口左岸に吉田(豊橋)本町の高須久太夫・高須嘉兵衛,吉田上伝馬町の真弓佐平,豊川村(豊川市)の高須十太夫,吉田住土倉五郎兵衛によって開発された。しかし,延宝8(1680)年・宝永2(1705)年・同4(07)年・正徳元(1711)年と災害が続き,新田はほとんど海底に没した。享保3(1718)年,吉田本町の小野久兵衛・高須甚八郎が再開発し,のち,吉田藩営となった。翌享保14(1729)年,御用達植田喜右衛が引き継いだ。安政4(1857)年,植田七三郎が土倉新田とともに碧海郡川島村(安城市)の太田佐兵衛に譲渡した。

 「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分951石余とあり,「吉田領戸数調」(安政5年)では家数39,人数200(土倉新田ともに)である。高須新田・土倉新田の産土神として烏塚山に神明社を祀る。明治11(1878)年,馬見塚村・三ツ相村・吉川村・野田村・高須新田(土倉新田とも)が合併して豊田村となった。明治17(1884)年,東豊田村(野田・吉川・三ツ相)と西豊田村(馬見塚・高須)となった。昭和7(1932)年に高須新田・土倉新田は豊橋市高洲町となる。

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!