たかさき・しんきち(1898~1944)
高崎信吉は,明治31(1898)年7月13日,渥美郡田原町(田原市田原町)に高崎喜太郎の長男として生まれた。8歳の時豊橋に転居したといわれる。愛知県第四中学校では同人雑誌「流動」,早稲田大学では「世紀」を発行した。大正13(1924)年「週刊豊橋」を発刊したが,2,3か月で廃刊となった。昭和4(1929)年「大衆新聞」を創刊した。そのころ,第2次電価争議が起こった。大衆新聞は争議支援の論陣を張り,争議副委員長となって活躍した。
昭和13(1938)年11月市内の日刊6紙が合同して「豊橋同盟新聞」となり,その理事となったが,同17(42)年9月豊橋同盟新聞は中部日本新聞に統合された。昭和19(1944)年4月12日,没した。
参考文献 - 宮脇良一「回想の高崎信吉」
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
高崎信吉は,明治31(1898)年7月13日,渥美郡田原町(田原市田原町)に高崎喜太郎の長男として生まれた。8歳の時豊橋に転居したといわれる。愛知県第四中学校では同人雑誌「流動」,早稲田大学では「世紀」を発行した。大正13(1924)年「週刊豊橋」を発刊したが,2,3か月で廃刊となった。昭和4(1929)年「大衆新聞」を創刊した。そのころ,第2次電価争議が起こった。大衆新聞は争議支援の論陣を張り,争議副委員長となって活躍した。
昭和13(1938)年11月市内の日刊6紙が合同して「豊橋同盟新聞」となり,その理事となったが,同17(42)年9月豊橋同盟新聞は中部日本新聞に統合された。昭和19(1944)年4月12日,没した。
参考文献 - 宮脇良一「回想の高崎信吉」
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