たかいのもちつき

 高井城(豊橋市石巻本町城之内)は,当時南朝に属していた高井主膳正の居城といわれている。ある年,暮れの12月28日のこと,高井の城は北朝軍の激しい襲撃を受け,苦戦を強いられていた。12月28日といえば,この村では「二八餅」といって,正月用の餅をつく習わしがあった。

 高井の集落でも,城の周りは戦をしていたが,縁起のいいこの日に餅をつく家が多かった。庄屋の家でも,鶏を家の中にいれると,餅つきにかかった。外では戦いが一層激しくなり,敵が攻め込む怒声が響き,家の中では餅をつく音が一段と高くなる。それに鶏が驚いたのか一羽が,臼の中に飛び込んでしまった。臼の中の餅はあっという間に鶏の血で赤く染まった。家の者たちは不吉に思った。この日,高井城は落城した。それ以来,高井の家々では28日には餅つきはせず,29日は苦餅と嫌がり,30日に餅つきをするようになったといわれている。

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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