ようけい

 豊橋の養鶏は,明治24(1891)年,大崎(豊橋大崎町)の小柳津友治が500羽規模での飼育を開始したことに始まる。その後,豊橋へ進出し,採卵養鶏に徹して,明治30(1897)年には7000~8000羽規模に発展した。小柳津友治は,アメリカから白色レグホンを輸入し,年平均産卵量は平均220個に達し,鶏舎方式の飼育法が普及した。養鶏飼料として,満州からポーミー(とうもろこし)を輸入し,北海道・樺太・朝鮮方面から胴鰊(どうにしん)を輸入した。製糸から出るドッチ(蛹(さなぎ)),牟呂の貝殻なども養鶏に役立った。

 昭和7(1932)年度の豊橋駅の鶏卵発送高は,全国1位で,全国2位の安城駅の5347tを上回る1万2749tに達した。豊橋地方の白皮大卵の70%は,東京市場へ出荷された。昭和8(1933)年の豊橋市の養鶏戸数は3419戸,羽数は,49万9114羽であった。第2次世界大戦後は,バタリー方式からケージ方式に変わり,従業員1人当たり1万羽を飼育するようになった。平成13(2001)年度,鶏卵の産出額は約35億円で,全国9位である。

 養鶏には,採卵鶏を飼養して鶏卵を生産する農家とブロイラー(肉用鶏)などを飼養して鶏肉を生産する農家がある。

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
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