ようさん
養蚕は,蚕を飼育して繭を取る産業である。豊橋地方では,明治期の初めごろから養蚕が始まった。明治6(1873)年,朝倉仁右衛門や柴田豊水などが長野県から桑苗を求めたり,養蚕技術の習得を高めたこともあって盛んとなった。明治10(1877)年には,これら養蚕農家が集まって赤心組を結成し,品質優良な東北産の桑苗を購入し奨励した。明治25(1892)年以降,桑園は急速に増加した。当時は繭価も良く,米の2倍以上の収益が上がったことから,大正末年ごろから昭和10年代にかけて,生産のピークを迎えた。
養蚕業の発達は,農村に現金収入をもたらしたが,蚕の餌となる桑畑の増加は,麦や粟などの作付けを圧迫した。麦作は,水田の裏作に転じざるを得なくなった。養蚕から得られた収入は,肥料・農機具の改善など,農村の生活や経済に大きな影響を与えた。第2次世界大戦前後の製糸業の衰退により,養蚕業も衰退した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
養蚕は,蚕を飼育して繭を取る産業である。豊橋地方では,明治期の初めごろから養蚕が始まった。明治6(1873)年,朝倉仁右衛門や柴田豊水などが長野県から桑苗を求めたり,養蚕技術の習得を高めたこともあって盛んとなった。明治10(1877)年には,これら養蚕農家が集まって赤心組を結成し,品質優良な東北産の桑苗を購入し奨励した。明治25(1892)年以降,桑園は急速に増加した。当時は繭価も良く,米の2倍以上の収益が上がったことから,大正末年ごろから昭和10年代にかけて,生産のピークを迎えた。
養蚕業の発達は,農村に現金収入をもたらしたが,蚕の餌となる桑畑の増加は,麦や粟などの作付けを圧迫した。麦作は,水田の裏作に転じざるを得なくなった。養蚕から得られた収入は,肥料・農機具の改善など,農村の生活や経済に大きな影響を与えた。第2次世界大戦前後の製糸業の衰退により,養蚕業も衰退した。
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