あくみのわたし

 豊川(とよがわ)の河口は飽海河の渡しとして,極めて早い時代から渡船が設けられていた。交通量の増加によって,渡船が増加された。承和2(835)年の太政官府に「三河国飽海矢作雨河各四艘(そう),元各二艘,今加各二艘」とある。そのころ,現在の豊橋は飽海と呼ばれ,豊川は飽海河といわれ,川幅は「崖岸広遠,不得造橋」とあり,上流は3㎞,下流は4㎞ほどあった。

 豊川の渡船の発着地点は,水脈の変化とともにしばしば変遷した。上流では中山峠または本坂(ほんざか)峠を越えて三ヶ日に通じる道で,下流では坂津・城海津・飽海を通ったと考えられる。平安期に「しかすがの渡し」の名所として知られるようになった。

 関連項目 - 志香須賀の渡し

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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