いいだせん

 飯田線は,昭和18(1943)年8月1日,東海道線豊橋駅と中央線辰野駅を結ぶ豊川鉄道・鳳来寺鉄道・三信鉄道・伊那電気鉄道が国鉄に買収されて国鉄飯田線(豊橋~辰野間192.1㎞,豊川~西豊川間2.4㎞)となった。豊川鉄道は,吉田~長篠間および豊川~西豊川間32.1㎞で,引継ぎ車両は電気機関車2・蒸気機関車2・電動車12・制御車4・付随車4・貨車132,買収額1980万円であった。鳳来寺鉄道は,長篠~三河川合間17.2㎞で,引継ぎ車両は電気機関車1・電動車2・貨車19,買収額314万円であった。三信鉄道は,三河川合~天竜峡間67.0㎞で,引継ぎ車両は電気機関車1・電動車10・貨車69,買収額1635万円であった。伊那電気鉄道は,辰野~天竜峡間79.8㎞で,引継ぎ車両は電気機関車9・電動車15・付随車14・貨車51,買収額2175万円であった。

 なお,伊那電気鉄道は,大正2(1913)年4月5日,逓信大臣から電気事業兼営の認可を受け,電燈電力供給事業の兼営を開始した。大正8(1919)年には,飯田電燈を合併するなど,電気事業の総収入に占める割合が50%を超える年もあった。昭和17(1942)年4月1日,配電統制令に基づき,伊那電気鉄道の電気供給施設の一切が中部配電株式会社に承継された(伊那電気鉄道の持株数17万7653株)。

 昭和18(1943)年8月1日,飯田線の豊橋~小和田(こわだ)間は名古屋鉄道局静岡管理部所管となり,豊橋機関区・新城保線区・豊橋電力区・豊橋信号通信区が設置され,浜松車掌区豊橋支区(昭和22年1月10日豊橋車掌区)が乗務区域となった。辰野~小和田間は名古屋鉄道局甲府管理部所管となり,伊那松島機関区・飯田保線区・飯田電力区・豊橋信号通信区飯田支区が設置され,甲府車掌区赤穂支区(昭和22年1月10日塩尻車掌区赤穂支区,同23年9月25日赤穂車掌区)が乗務区域となった。

 昭和25(1950)年8月1日,静岡鉄道管理局が設置され,飯田線の一元管理が実現した。昭和30(1955)年11月11日,佐久間ダム建設のため佐久間~大嵐(おおぞれ)間を水窪(みさくぼ)経由に経路変更した。昭和62(1987)年4月1日,東海旅客鉄道(JR東海)静岡支社が設置された。しかし,翌昭和63(1988)年2月1日,JR東海飯田線営業所が豊川に設置され,平成2(1990)年3月1日,JR東海事業本部飯田支店(豊橋起点0.000~195.520㎞,船町~宮木の92駅,大沢信号場,CTCセンター,豊橋運輸区・伊那松島運輸区,新城工務区・飯田工務区)が開設された。

 参考文献 - 日本国有鉄道「国有鉄道百年史」
 関連項目 - 豊川の鉄橋

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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