いいだじけん

 飯田事件は,明治17(1884)年12月に愛知県田原(田原市)の村松愛蔵ら田原グループと長野県飯田(飯田市)の桜井平吉ら愛国正理社グループが連携して政府転覆の武装蜂起(ほうき)を企てた事件である。当時,農村は不景気のどん底にあった。没落農民層の中には,困民党や借金党を名乗って激しい農民運動を展開していった。そうした流れの中で,明治15(1882)年の福島事件をきっかけに,同17(84)年には秩父事件,群馬事件,加波山事件などいわゆる自由党左派による激化事件が頻発した。飯田事件もその一環であった。

 飯田事件は,まず政府弾劾の檄文(げきぶん)(植木枝盛の執筆といわれる)5万枚を秘密出版して東京・大阪・名古屋など大都市10か所を選んで一斉撒布し,その反応をみて武装蜂起するという計画であった。計画で特筆すべきことは,当時名古屋鎮台に入営中の八木重治が軍隊内で中島助四郎,福住大宣など同志を獲得し,さらに武器弾薬を奪おうとしたことである。自由民権運動が,軍隊内に持ち込まれた唯一の事例である。やがて,計画は密偵の知るところとなり,明治17(1884)年12月初旬,一斉に逮捕された。逮捕された豊橋関係者は,中島助四郎,遊佐(ゆさ)発(ひらく),村雨案山子(かかし)・のぶなどであった。

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!