よりともゆかりのながらのひのき
鎌倉幕府を開いた源頼朝(1147~99)は,京の都へ上る時,鎌倉街道を豊橋市雲谷(うのや)町の普門寺から船形山を越え,豊橋市岩崎町・多米(ため)町・牛川町乗小路・石巻本町和田へと駒を進めた。豊橋市石巻本町長楽の集落にひときわ大きな桧がそびえており,その根方には桧地蔵(小便地蔵)と呼ばれる小さな地蔵が鎮座している。その地蔵は村人や,街道を往来する人々の信仰を広く集めていた。源頼朝は,ここまで来ると馬を降り休息をとった。源頼朝が下馬したことで,下馬→げんば→「玄場」という地名がこの近くについたといわれている。ここで下馬した源頼朝は,桧に馬をつなぎ,北の方にある長楽の産土神(うぶすながみ)である正八幡社におもむき,武運長久の祈願をしたという。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
鎌倉幕府を開いた源頼朝(1147~99)は,京の都へ上る時,鎌倉街道を豊橋市雲谷(うのや)町の普門寺から船形山を越え,豊橋市岩崎町・多米(ため)町・牛川町乗小路・石巻本町和田へと駒を進めた。豊橋市石巻本町長楽の集落にひときわ大きな桧がそびえており,その根方には桧地蔵(小便地蔵)と呼ばれる小さな地蔵が鎮座している。その地蔵は村人や,街道を往来する人々の信仰を広く集めていた。源頼朝は,ここまで来ると馬を降り休息をとった。源頼朝が下馬したことで,下馬→げんば→「玄場」という地名がこの近くについたといわれている。ここで下馬した源頼朝は,桧に馬をつなぎ,北の方にある長楽の産土神(うぶすながみ)である正八幡社におもむき,武運長久の祈願をしたという。
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