でんわきょくばん
豊橋の電話が自動開局(4桁のダイヤル式)したのは,昭和6(1931)年3月29日である。大正15(1926)年,東京・横浜,昭和3(1928)年,大阪・京都・神戸・名古屋に自動交換式の電話が登場した。豊橋と姫路が軍都として選ばれた。しかし,自動改式は豊橋だけだった。浜松が昭和4(1929)年,豊川が同17(42)年に,共電式になった。しかし,それ以外はすべて磁石式であった。
昭和27(1952)年5月15日,豊橋豊川間が即時通話地区になった。昭和30(1955)年6月7日,名古屋近郊局相互間に自動中継交換(局番06)が開始された。翌昭和31(1956)年7月15日,蒲郡局,同36(61)年6月27日,豊川局が自動改式された。また,市外局番も,豊橋032,浜松034,岡崎064,蒲郡0336,豊川0338とした。
昭和36(1961)年11月19日,豊橋局に市内局番2とし,翌37(62)年8月5日,市外局番が0532となった。昭和42(1967)年10月29日,全国自動即時網に編入され,同42(67)年11月26日,市内局番が2数字化(市内中心部,局番51・52…)された。昭和40(1965)年5月21日二川局自動化(局番41),翌41(66)年8月10日,石巻局自動化(石巻・下条,局番88),同44(69)年12月10日,南栄局開局(柳生川以東,局番45)・植田局開局(梅田川以南,局番25),翌45(70)年12月9日,花田局開局(東海道線以西,局番31),翌46(71)年3月26日,老津局自動化(老津・杉山,局番23),同48(73)年2月21日,東田局開局(豊橋環状線以東,局番61),同50(75)年3月19日,寺沢局開局(五並・高豊,局番21)と地域制局番となった。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
豊橋の電話が自動開局(4桁のダイヤル式)したのは,昭和6(1931)年3月29日である。大正15(1926)年,東京・横浜,昭和3(1928)年,大阪・京都・神戸・名古屋に自動交換式の電話が登場した。豊橋と姫路が軍都として選ばれた。しかし,自動改式は豊橋だけだった。浜松が昭和4(1929)年,豊川が同17(42)年に,共電式になった。しかし,それ以外はすべて磁石式であった。
昭和27(1952)年5月15日,豊橋豊川間が即時通話地区になった。昭和30(1955)年6月7日,名古屋近郊局相互間に自動中継交換(局番06)が開始された。翌昭和31(1956)年7月15日,蒲郡局,同36(61)年6月27日,豊川局が自動改式された。また,市外局番も,豊橋032,浜松034,岡崎064,蒲郡0336,豊川0338とした。
昭和36(1961)年11月19日,豊橋局に市内局番2とし,翌37(62)年8月5日,市外局番が0532となった。昭和42(1967)年10月29日,全国自動即時網に編入され,同42(67)年11月26日,市内局番が2数字化(市内中心部,局番51・52…)された。昭和40(1965)年5月21日二川局自動化(局番41),翌41(66)年8月10日,石巻局自動化(石巻・下条,局番88),同44(69)年12月10日,南栄局開局(柳生川以東,局番45)・植田局開局(梅田川以南,局番25),翌45(70)年12月9日,花田局開局(東海道線以西,局番31),翌46(71)年3月26日,老津局自動化(老津・杉山,局番23),同48(73)年2月21日,東田局開局(豊橋環状線以東,局番61),同50(75)年3月19日,寺沢局開局(五並・高豊,局番21)と地域制局番となった。
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豊橋市議の長坂です。
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