りくぐんひこうじょう

 豊橋の陸軍飛行場は,昭和13(1938)年,渥美線大清水駅付近の陸軍用地に,千葉の下志津陸軍飛行学校の分教場として設置された。飛行学校は陸軍の偵察飛行隊に必要な学術を修得させ,これを各隊に普及することを目的としたもので,特に航空写真の研究を任務とした。昭和18(1943)年2月,陸軍飛行場設定練習部(中部第百部隊)が設置され,飛行場建設の研究,設営隊員の教育訓練,教範の編集が行われた。昭和19(1944)年2月,第2次世界大戦の激化とともに,従来の練習部を陸軍航空基地設定練習部と改称し,練習飛行場を拡充した。この作業には,豊橋市民だけでなく,北設楽(したら)郡や南設楽郡の住民,小中学生も動員された。この時,南方で鹵獲(ろかく)した米軍のブルドーザーが使われた。ここで訓練された技術部員は,各方面の飛行場建設に派遣されたが,なかには太平洋の島々に出動して全滅した部隊もあった。

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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