りくぐんびょういん

 明治18(1885)年4月,歩兵第18聯隊が名古屋から豊橋に移駐して吉田(豊橋)城址(じょうし)に兵営が置かれ,豊橋衛戍(えいじゅ)病院が聯隊内に設置された。明治41(1908)年11月,第15師団が渥美郡高師村に設置され,師団衛戍病院が磯辺(豊橋市中野町)に設置され,後に豊橋陸軍病院と改称された。大正14(1925)年4月第15師団が解団したが,陸軍病院はそのまま存続した。

 昭和12(1937)年7月,日華事変が起こり,そのため兵器支廠(ししょう)南の練兵場(豊橋市南栄町空池)に豊橋陸軍病院高師原臨時分院が新築された。昭和20(1945)年,戦局が急迫を告げ,本土決戦に備えて疎開分院が蒲郡・飯田・玖老勢(くろぜ)・田口・長篠・天竜・海老・古奈の各地に開設された。

 昭和20(1945)年8月15日の終戦によって陸海軍は解体されたが,旧軍人傷痍(しょうい)者と外地引揚罹病(りびょう)者の医療を行うため,国立病院が創設された。昭和20(1945)年11月19日,連合軍総司令部が日本政府に指令した「陸海軍病院の処理に関する覚書」に基づいて旧軍施設の転用を受けた厚生省は,同20(45)年12月1日,一般病院として国立病院を発足させた。

 昭和20(1945)年12月1日,国立豊橋病院は旧豊橋陸軍病院の施設・人員・資材の一切を引継いで,国立豊橋病院に転換した。引継がれた施設は,豊橋市中野町(国立豊橋病院)・南栄町(豊橋市営南栄住宅)の敷地9868坪,建物は木造瓦葺(かわらぶき)一部煉瓦造りの建坪2845坪・延べ坪3239坪であった。

 関連項目 - 国立豊橋病院(豊橋市飯村(いむれ)町高山)

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!