ぼうくうえんしゅう

 豊橋市での防空演習は,昭和4(1929)年に始まった。昭和8(1933)年3月には東海大防空演習が行われ,昭和10(1935)年5月に第3次防空演習が行われている。昭和11(1936)年の防護団の結成,昭和12(1937)年の防空法の公布を経て,昭和14(1939)年警防団が結成され,消防など防空活動に当たる戦時組織となった。昭和16(1941)年10月に連続5日間,昭和17(1942)年にも大掛かりな演習が実施された。この時期には空襲はまだ実感をともなったものではなかった。

 第2次世界大戦の戦局が悪化した昭和18(1943)年ごろからは,本土空襲が現実味をおび校区,学校,職場ごとに,防空演習が行われた。昭和18(1944)年4月からは灯火管制が強化され,各家庭でも黒布で電灯を覆った。サイパン島の陥落以降は町内会ごとに焼夷弾(しょういだん)投下を想定して,消火訓練や防空壕への退避訓練が繰り返された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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