ながお・かよう(1824頃~1913)

 長尾華陽は,遠州(浜松市)に生まれた。若いころ,江戸に遊学し,漢学を大橋訥庵に,書を巻菱湖に,画を椿椿山(つばきちんざん)について学ぶ。諱(いみな)を正名・華陽・守拙庵・不休斎と号した。

 帰郷した後,吉田(豊橋)本町の呉服商奈良屋作兵衛の入婿となり,長尾家を継いだ。奈良屋は吉田藩主小笠原氏の時代からの老舗であり,藩の御用達を務めた。

 明治維新後は,社会の急激な変化によって長尾家も経済的に困窮し,明治30(1897)年ごろから湊(みなと)町の神明社に神職として奉職しながら画筆に親しんでいた。画法は,若いころ学んだ椿椿山の手法を受け継いだ。彩色にすぐれ,花鳥画を得意としていた。大正2(1913)年7月12日,90歳で没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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