ちょうこうじ
天金山長光寺(曹洞宗)の創立は,寺伝によると永禄元(1558)年,開山は大心宗綱座元とあるが,「宝飯郡誌」には天文21(1552)年の創立とあり,いずれが正しいか不明である。開山は宗綱法印と名乗る元高野山真言の僧であることから,開創時は真言宗であった。開基は不明であるが,往時この地は大磯村(豊橋市大村町)といわれ,旧家に伴野一族があり,古来当寺の檀那(だんな)となっている点から,伴野氏の祖を開基と見るのが妥当とされる。また明治4(1871)年の井戸屋形の棟札にも庄屋伴野作左衛門と書かれている。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大磯村「天金山長光寺,四間・三間,吉田竜拈寺末寺,平僧」とある。本尊は十一面観世音菩薩坐像で,両祖の木像(大心宗綱と伴野氏)が安置されている。明治10(1877)年竜拈寺(りゅうねんじ)第35世良洞巨介和尚により,平僧地から法地に転格した。昭和3(1928)年現在の本堂を再建した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
天金山長光寺(曹洞宗)の創立は,寺伝によると永禄元(1558)年,開山は大心宗綱座元とあるが,「宝飯郡誌」には天文21(1552)年の創立とあり,いずれが正しいか不明である。開山は宗綱法印と名乗る元高野山真言の僧であることから,開創時は真言宗であった。開基は不明であるが,往時この地は大磯村(豊橋市大村町)といわれ,旧家に伴野一族があり,古来当寺の檀那(だんな)となっている点から,伴野氏の祖を開基と見るのが妥当とされる。また明治4(1871)年の井戸屋形の棟札にも庄屋伴野作左衛門と書かれている。
「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,大磯村「天金山長光寺,四間・三間,吉田竜拈寺末寺,平僧」とある。本尊は十一面観世音菩薩坐像で,両祖の木像(大心宗綱と伴野氏)が安置されている。明治10(1877)年竜拈寺(りゅうねんじ)第35世良洞巨介和尚により,平僧地から法地に転格した。昭和3(1928)年現在の本堂を再建した。
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