かまくらかいどう
鎌倉街道は,鎌倉幕府成立後,鎌倉を中心として放射状に整備された中世交通路のことである。東国を中心に整備された上・中・下の3道が主要なルートであったが,政治の2大中心地であった京・鎌倉を結ぶ中世東海道も鎌倉街道と呼ばれている。
鎌倉幕府は東海道を重視し,守護・地頭に対して交通路の整備,管理を命じるほか,沿道の荘園・公領に伝馬と食料を提出させている。また,街道の要所には宿と呼ばれる宿泊施設を中心とした集落が成立していた。三河地域では,矢作宿(岡崎市),宮道(宝飯郡音羽町),豊川(豊川市)などの宿を経て,遠江(とおとうみ)国橋本宿(浜名郡新居町)へ至るルートであったが,豊橋市域のルートは不明な点が多く,豊川宿から豊川(とよがわ)を渡り,岩崎から高師山を経て橋本へ至るルート,豊川宿ではなく渡津から今橋宿へ渡り,高師山から橋本へ至るルートなどが想定されている。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
鎌倉街道は,鎌倉幕府成立後,鎌倉を中心として放射状に整備された中世交通路のことである。東国を中心に整備された上・中・下の3道が主要なルートであったが,政治の2大中心地であった京・鎌倉を結ぶ中世東海道も鎌倉街道と呼ばれている。
鎌倉幕府は東海道を重視し,守護・地頭に対して交通路の整備,管理を命じるほか,沿道の荘園・公領に伝馬と食料を提出させている。また,街道の要所には宿と呼ばれる宿泊施設を中心とした集落が成立していた。三河地域では,矢作宿(岡崎市),宮道(宝飯郡音羽町),豊川(豊川市)などの宿を経て,遠江(とおとうみ)国橋本宿(浜名郡新居町)へ至るルートであったが,豊橋市域のルートは不明な点が多く,豊川宿から豊川(とよがわ)を渡り,岩崎から高師山を経て橋本へ至るルート,豊川宿ではなく渡津から今橋宿へ渡り,高師山から橋本へ至るルートなどが想定されている。
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苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
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