てつどうしょうか
明治33(1900)年5月,大和田建樹作詞・上真行と多梅稚(おおのうめわか)作曲の「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり」という歌詞から始まる「鉄道唱歌」は,「地理教育唱歌」と名づけられて発売された。その30番が豊橋である。
30番 豊橋おりて乗る汽車は
これぞ豊川稲荷道
東海道にてすぐれたる
海のながめは蒲郡
明治42(1909)年1月,大和田建樹作詞・田村虎蔵作曲の「東海道唱歌汽車」が発売された。
26番 二川駅の岩山に
立てる観音見上げつつ
あれよと指さす程もなく
とまれる汽車は豊橋市
27番 ここには十五師団あり
豊川鉄道乗り替え場
豊川稲荷に参るべく
長篠古城も尋ぬべし
昭和になると,鉄道省は東京日日新聞・大阪毎日新聞と組んで「新鉄道唱歌」の歌詞と曲を公募した。東海道線の入選者は藤原守人であった。
35番 豊川稲荷程近き
豊橋過ぎて左手(ゆんで)には
翠巒(すいらん)うつす渥美湾
海光明るき蒲郡
昭和12(1937)年,大阪中央放送局が企画,大阪と東京と交替で「新鉄道唱歌」を国民歌謡として放送した。「東海道」は土岐善麿・西条八十作詞・堀内敬三作曲であった。
9番 弁天島の真帆片帆
浜名湖過ぎて豊橋や
稲荷詣の客下りて
島影すずし蒲郡
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
明治33(1900)年5月,大和田建樹作詞・上真行と多梅稚(おおのうめわか)作曲の「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり」という歌詞から始まる「鉄道唱歌」は,「地理教育唱歌」と名づけられて発売された。その30番が豊橋である。
30番 豊橋おりて乗る汽車は
これぞ豊川稲荷道
東海道にてすぐれたる
海のながめは蒲郡
明治42(1909)年1月,大和田建樹作詞・田村虎蔵作曲の「東海道唱歌汽車」が発売された。
26番 二川駅の岩山に
立てる観音見上げつつ
あれよと指さす程もなく
とまれる汽車は豊橋市
27番 ここには十五師団あり
豊川鉄道乗り替え場
豊川稲荷に参るべく
長篠古城も尋ぬべし
昭和になると,鉄道省は東京日日新聞・大阪毎日新聞と組んで「新鉄道唱歌」の歌詞と曲を公募した。東海道線の入選者は藤原守人であった。
35番 豊川稲荷程近き
豊橋過ぎて左手(ゆんで)には
翠巒(すいらん)うつす渥美湾
海光明るき蒲郡
昭和12(1937)年,大阪中央放送局が企画,大阪と東京と交替で「新鉄道唱歌」を国民歌謡として放送した。「東海道」は土岐善麿・西条八十作詞・堀内敬三作曲であった。
9番 弁天島の真帆片帆
浜名湖過ぎて豊橋や
稲荷詣の客下りて
島影すずし蒲郡
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