すずき・げんちゅう(1829~91)
鈴木玄仲は,文政12(1829)年1月16日,関屋(豊橋市関屋町)に生まれた。天保11(1840)年,遠江(とおとうみ)国敷知(ふち)郡摩訶耶(まかや)村(引佐(いなさ)郡三ヶ日町摩訶耶)の阿部三圭に漢方医学を学んだ。天保13(1842)年江戸に出て吉田(豊橋)藩江戸詰医師利光仙)庵(としみつせあん)に蘭方を学び,戸塚静海について西洋医学を研究した。嘉永2(1849)年,帰郷して八名郡藤ヶ池村(豊橋市下条東町)に開業し種痘を実施した。文久3(1863)年,ふたたび江戸に出て杉田玄瑞に西洋医学を学んだ。元治元(1864)年帰郷して吉田(豊橋)呉服町に開業,明治8(1875)年宝飯郡当古(とうご)村(豊川市当古町)に開業した。種痘の普及を図るため,豊橋本町(豊橋市新本町)にも種痘所を設けて,無料の措置を講じた。明治11(1878)年,豊橋梅毒検査係(明治14年豊橋駆梅院長となる)を拝命した。明治23(1890)年有春堂医院を八町に開設,副院長に就任した。明治24(1891)年11月23日,没した。
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
鈴木玄仲は,文政12(1829)年1月16日,関屋(豊橋市関屋町)に生まれた。天保11(1840)年,遠江(とおとうみ)国敷知(ふち)郡摩訶耶(まかや)村(引佐(いなさ)郡三ヶ日町摩訶耶)の阿部三圭に漢方医学を学んだ。天保13(1842)年江戸に出て吉田(豊橋)藩江戸詰医師利光仙)庵(としみつせあん)に蘭方を学び,戸塚静海について西洋医学を研究した。嘉永2(1849)年,帰郷して八名郡藤ヶ池村(豊橋市下条東町)に開業し種痘を実施した。文久3(1863)年,ふたたび江戸に出て杉田玄瑞に西洋医学を学んだ。元治元(1864)年帰郷して吉田(豊橋)呉服町に開業,明治8(1875)年宝飯郡当古(とうご)村(豊川市当古町)に開業した。種痘の普及を図るため,豊橋本町(豊橋市新本町)にも種痘所を設けて,無料の措置を講じた。明治11(1878)年,豊橋梅毒検査係(明治14年豊橋駆梅院長となる)を拝命した。明治23(1890)年有春堂医院を八町に開設,副院長に就任した。明治24(1891)年11月23日,没した。
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!