すずき・たくろう(1898~1982)

 鈴木択郎は,明治31(1898)年7月26日,栃木県芳賀郡清原村(宇都宮市)で鈴木伊平の子として生まれた。地元の中学校を卒業すると栃木県の給費生になり,上海の東亜同文書院に入学した。大正7(1918)年6月東亜同文書院商務科を卒業し,大正9(1920)年9月東亜同文書院の助教授に任命されたが,中国語研究のため北京大学に留学し,中国語学について研鑽(けんさん)を積んだ。昭和13(1938)年,東亜同文書院が大学に昇格すると同時に教授に就任した。

 昭和20(1945)年の第2次世界大戦終戦により,東亜同文書院大学は廃校となった。昭和21(1946)年,東亜同文書院大学を中心とする海外にあった大学の教授や学生たちにより,愛知大学が創立されると予科教授となる。昭和24(1949)年4月文学部教授に就任し,中国語学を担当した。

 第2次世界大戦前,東亜同文書院で作成された華日辞典の14万枚のカードが,昭和29(1954)年周恩来首相により愛知大学に返還された。愛知大学は「華日辞典編纂処」を設立し,鈴木択郎を委員長に任命した。返還されたカードをもとに「中日大辞典」の編纂が行われ,昭和43(1968)年2月初版が出版された。昭和57(1982)年1月,没した。

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