すずき・えつ(1886~1933)
鈴木悦は,明治19(1886)年10月17日,渥美郡老津村(豊橋市老津町)で鈴木浅吉の長男として生まれた。成城中学校,東京外国語学校,早稲田大学を卒業後,明治43(1910)年「万朝報」に入社した。「早稲田文学」に「家なき人」「解放」「幻影」など,時評・創作を発表した。大正3(1914)年植竹書店に転職,トルストイの「戦争と平和」の英訳本から翻訳を行った。その後,朝日新聞社に転職した。
大正7(1918)年田村俊子(1884~1945)と同棲,カナダへ渡航してバンクーバーで「大陸日報」の主筆となった。大正8(1919)年,加奈陀(カナダ)日本人山林労組(アソシエーション)を結成,翌9(20)年カナダ日本人労組(ユニオン)を結成,顧問に就任し,「労働週報」を創刊した。大正13(1924)年「大陸日報」を退社し,「日刊民衆」社を設立した。
昭和7(1932)年健康に不安を覚えた鈴木悦は一時帰国し,翌8(33)年上智大学・明治大学の新聞学科講師となったが,同8(33)年9月11日,豊橋で没した。
なお,田村俊子(1884~1945)は,昭和11(1936)年,カナダから帰国した。その後,中国に渡り,昭和20(1945)年,上海で没した。昭和60(1985)年,高師緑地(豊橋市高師町北原)に「鈴木悦・田村俊子文学碑」が建てられた。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
鈴木悦は,明治19(1886)年10月17日,渥美郡老津村(豊橋市老津町)で鈴木浅吉の長男として生まれた。成城中学校,東京外国語学校,早稲田大学を卒業後,明治43(1910)年「万朝報」に入社した。「早稲田文学」に「家なき人」「解放」「幻影」など,時評・創作を発表した。大正3(1914)年植竹書店に転職,トルストイの「戦争と平和」の英訳本から翻訳を行った。その後,朝日新聞社に転職した。
大正7(1918)年田村俊子(1884~1945)と同棲,カナダへ渡航してバンクーバーで「大陸日報」の主筆となった。大正8(1919)年,加奈陀(カナダ)日本人山林労組(アソシエーション)を結成,翌9(20)年カナダ日本人労組(ユニオン)を結成,顧問に就任し,「労働週報」を創刊した。大正13(1924)年「大陸日報」を退社し,「日刊民衆」社を設立した。
昭和7(1932)年健康に不安を覚えた鈴木悦は一時帰国し,翌8(33)年上智大学・明治大学の新聞学科講師となったが,同8(33)年9月11日,豊橋で没した。
なお,田村俊子(1884~1945)は,昭和11(1936)年,カナダから帰国した。その後,中国に渡り,昭和20(1945)年,上海で没した。昭和60(1985)年,高師緑地(豊橋市高師町北原)に「鈴木悦・田村俊子文学碑」が建てられた。
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