すずき・へいごろう(1847~1921)

 鈴木平五郎は,弘化4(1847)年12月7日,八名郡萩平村(豊橋市石巻萩平町)の杉村家に生まれた。4歳の時,同村の鈴木平八の養子となった。明治5(1872)年西郷郷学校幹事となり,同7(74)年西郷学校教員(明治8~13年首座教員)となった。明治13(1880)年八名郡書記となり,勧業係を同28(95)年まで務めた。この間,養蚕伝習に尽力し,明治17(1884)年萩平報徳社を結成,岡田良一郎の下で副社長となった。明治21(1888)年,八名郡私立農林会を組織して幹事長となる。明治32(1899)年八名郡農会に改組して,翌33(1900)年から同35(02)年まで会長となった。また,日吉神社社掌を明治33(1900)から同36(03)年までの間務めた。大正5(1916)年,日吉神社境内に「鈴木平五郎翁之碑」が建立された。大正10(1921)年1月9日,没した。

 参考文献 - 豊橋市立商業学校編「東三河産業功労者伝」

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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