かねこ・たけしろう(1814頃~64)

 金子健四郎は,文化11(1814)年(文化13年説もある),吉田(豊橋)魚町の魚商金子平四郎の4男に生まれた。幼名を利平あるいは武四郎といい,名を直通,号を豊水といった。吉田本町の薬舗鈴木孝本に剣を学んだ。江戸に出て,杉山東七郎・斉藤弥九郎の門に入り,神道無念流の剣術を学んだ。渡辺崋山の薫陶(くんとう)を受け,墨竹画を得意とした。天保9(1838)年,田原藩に2人扶持で召し抱えられた。天保11(1840)年水戸藩に仕えて禄100石を受け,剣術道場百練館を開いたが,些細(ささい)な争いから役人を斬り,投獄された。出牢後,京都で勤王の志士と交わり攘夷運動に奔走した。元治元(1864)年4月10日,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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