なかやま・おみふみ(1905~70)
那賀山乙巳文は,明治38(1905)年8月1日,豊橋で,父・那賀山浩,母・ゆさの子(異母兄が2人いた)として生まれた。20歳前後から,三河・遠江(とおとうみ)地方の郷土史研究に没頭した。浜松の内田旭に師事し,国史資料編纂室の岡本太郎にも地方史研究の指針を問い,実証的基礎に立つ研究に挺身した。昭和7(1932)年から同10(35)年にかけて「東三偉傑史伝綜合講座」に金子健四郎・小淵志ち・鈴木長門守重勝・土肥二三・佐野蓬宇・大須賀彦助・鈴木麟三・佐野重作・木村庄之助などを取り上げた。以後,多数の人物伝・社寺誌などを手がけた。昭和27(1952)年浜松市史編纂室の渥美静一とともに三遠文化協会を設立し,機関誌「三遠」を刊行した。「太平寺」「吉田の劇場」「飽海(あくみ)の紙漉(かみすき)」や「老津誌年表(共編)」「遠江書誌(共編)」を発表した。昭和45(1970)年1月30日,没した。
那賀山乙巳文の先祖は,阿波国那賀郡中島浦(徳島市川内町中島)を名字地とする武士で,佐倉藩(千葉県佐倉市)の御殿医であったという。父・那賀山浩は工兵隊の銃工長で,退官後は豊橋八町に住居した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
那賀山乙巳文は,明治38(1905)年8月1日,豊橋で,父・那賀山浩,母・ゆさの子(異母兄が2人いた)として生まれた。20歳前後から,三河・遠江(とおとうみ)地方の郷土史研究に没頭した。浜松の内田旭に師事し,国史資料編纂室の岡本太郎にも地方史研究の指針を問い,実証的基礎に立つ研究に挺身した。昭和7(1932)年から同10(35)年にかけて「東三偉傑史伝綜合講座」に金子健四郎・小淵志ち・鈴木長門守重勝・土肥二三・佐野蓬宇・大須賀彦助・鈴木麟三・佐野重作・木村庄之助などを取り上げた。以後,多数の人物伝・社寺誌などを手がけた。昭和27(1952)年浜松市史編纂室の渥美静一とともに三遠文化協会を設立し,機関誌「三遠」を刊行した。「太平寺」「吉田の劇場」「飽海(あくみ)の紙漉(かみすき)」や「老津誌年表(共編)」「遠江書誌(共編)」を発表した。昭和45(1970)年1月30日,没した。
那賀山乙巳文の先祖は,阿波国那賀郡中島浦(徳島市川内町中島)を名字地とする武士で,佐倉藩(千葉県佐倉市)の御殿医であったという。父・那賀山浩は工兵隊の銃工長で,退官後は豊橋八町に住居した。
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