こんどう・ろくどう(1874頃~1945)

 近藤鹿堂(健吉)は,八名郡富岡村(新城市)に生まれた。長ずるにおよんで参陽新報の主筆として,健筆を振るうこととなったが,社の方針と意見が合わず,明治42(1909)年にいったん退社した。参陽新報は,大正3(1914)年経営難に陥り,南設楽郡東郷村の中島猿之助に譲渡され,次いで,大正6(1917)年同志派の高橋小十郎に譲渡された。このため近藤鹿堂は,再び主筆として参陽新報へ復帰したが,大正10(1921)年10月高橋小十郎との見解の相違を理由に参陽新報を辞し,同年11月豊橋新報社を設立した。豊橋新報は,社長大口喜六・副社長小山信・専務安藤角次郎・会計黒柳清治・主筆近藤鹿堂らによって,大正10(1921)年12月20日に創刊された。昭和11(1936)年12月,当時の豊橋地域の政治・社会面を活写した「豊橋雷同ひょう記(らいどうひょうき)」を出版した。昭和20(1945)年2月2日,72歳で没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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