あかいわさんじょう
赤岩山城は,戸田氏の城の一つである。赤岩寺(せきがんじ)の裏山,三河・遠江(とおとうみ)国境の弓張山系南西端にあたる尾根上に築かれている。
赤岩寺の永禄11(1568)年の棟札に「願主戸田左門介」とある一方で,「三河国古今城塁地理誌」には牧野新次郎の名が見える。牧野氏築城説も考えられるが,二連木戸田氏本拠の二連木城からの距離も近く,やはり戸田氏が多米(ため)峠を抑える要所として築いた説が有力である。時期は,天文・永禄年間(1532~70)ごろ,規模は80m×60m程度と考えられる。城址は公園となった。遺構として曲輪(くるわ)や土塁,深さ約8m,幅約11m,長さ約30mの大規模な堀が確認できる。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
赤岩山城は,戸田氏の城の一つである。赤岩寺(せきがんじ)の裏山,三河・遠江(とおとうみ)国境の弓張山系南西端にあたる尾根上に築かれている。
赤岩寺の永禄11(1568)年の棟札に「願主戸田左門介」とある一方で,「三河国古今城塁地理誌」には牧野新次郎の名が見える。牧野氏築城説も考えられるが,二連木戸田氏本拠の二連木城からの距離も近く,やはり戸田氏が多米(ため)峠を抑える要所として築いた説が有力である。時期は,天文・永禄年間(1532~70)ごろ,規模は80m×60m程度と考えられる。城址は公園となった。遺構として曲輪(くるわ)や土塁,深さ約8m,幅約11m,長さ約30mの大規模な堀が確認できる。
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