かがわ・とよひこ(1888~1960)

 賀川豊彦は,明治21(1888)年7月10日,神戸で賀川純一の庶子として生まれた。明治37(1904)年徳島中学校5年生のとき,マヤス博士より洗礼を受けた。明治40(1907)年神戸神学校新設により,明治学院神学部予科からの転校を決めた。9月の開校まで日本基督教岡崎教会の伝道応援におもむいた。さらに,豊橋教会に移り,路傍伝道中に病に倒れた。明治41(1908)年,蒲郡府相海岸へ転地療養した。大正9(1920)年に刊行された「死線を越えて」で有名である。昭和4(1929)年から翌5(30)年にかけて雑誌「雄弁」に連載され,同6(31)年に刊行された「一粒の麦」の主人公は,北設楽郡津具村生まれで,豊橋の材木屋に奉公している青年である。昭和35(1960)年4月23日,没した。

 参考文献 - 隅谷三喜男「賀川豊彦」

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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